これまでの記事では、妻のキャリアを優先して夫が働き方を変えた3つの家族の姿を追ってきましたが、今回は妻のキャリアのために夫が仕事を辞め、専業主夫となった古谷さん(仮名)一家の話です。

古谷家について特筆すべき点は、妻の海外赴任に夫が着いていったというところです。いったいどういった思いをもって自身の仕事を辞め、妻であるハルコさんの海外赴任に着いていくことに決めたのでしょうか。それも、お世辞にも治安が良いとは言えない南アジアの国へ、2歳の子どもを連れて……。一時帰国したタイミングで、夫・マサシさんに聞いてみることにしました。

(※本連載に出てくる名前はすべて仮名です)

付き合ってから3ヶ月で結婚へ

まずは2人の出会いから聞いていくことにしましょう。マサシさんとハルコさんが出会ったのは2012年のこと。都内で企画された国際交流イベントの実行委員をしていたマサシさんは、実行委員長がやや強引に連れてきたハルコさんと出会いました。

「出会ってから最初の1年間は、お互い“さん付け”で呼ぶ感じで、業務的な関係でした」

しかし、ふとしたタイミングでお互いが同い年だということがわかり、少しずつ距離が縮まっていきました。そして、「付き合っている人はいるんですか?」という話の流れから、「付き合いませんか?」と提案され、マサシさんは首を縦に振ったのだと言います。

情熱的な恋愛だったとは言い難いスタートでしたが、一方で結婚までのスピードは速かったようです。

「どちらからということもなく、話の流れの中で、『結婚するならいつ頃がいい?』という話になり、お互いに『別にいつでもいいよね』という雰囲気になって、『それなら結婚しようか』ってなりました。付き合ってから3ヶ月くらいのときですね」

スピード結婚の後、ほどなくして妊娠が判明。結婚から1年を待たずして出産をむかえました。

「子どもの話は結婚する前からしていました。年齢的にお互い30歳に近かったので、子どもをつくるなら早めのほうがいいかもね、というざっくりした感じの話です」

自分(夫)が退職して妻についていく道を選んだ理由

ハルコさんが第一子となる女の子を出産したのが9月のこと。その翌年の7月には職場復帰したそうですが、その復帰に合わせて夫であるマサシさんが退職しました。

「復帰するときには、社内的に海外赴任が決まっていたんです。というのも赴任先は南アジアなのですが、そこはあまり人気がないので、希望を出せば行けるところでした。妻としても、自分が希望している仕事ができるということだったので、『それなら応募してみよう』って夫婦で決めました」

妻が海外赴任に出るということで、1歳に満たない幼子がいた古谷家としてはいくつかの選択肢があったといえます。

まず考えられるのは、妻が子どもとともに現地へ行き、ベビーシッターを雇ったり、現地の保育施設を利用したりしながら仕事と子育てを両立していくという道です。さらに、夫が子どもとともに日本に残るという道もあります。保育園を利用したり、祖父母の援助も得られたりする可能性があるので、マサシさんとしても仕事を辞める必要はなくなります。

しかし、選んだ道はマサシさんが日本での仕事を辞め、海外赴任についていき、現地で子育てをするというものでした。

「もちろん夫婦で相談して決めたことです。妻が子どもを連れていき、子どもをベビーシッターに預けて働くとかになると、やっぱり仕事に集中できません。せっかくやりがいを感じる仕事が目の前にあるのに、それはもったいないですし、心身ともに大変です」

「逆に、自分が日本にとどまって子どもと2人で過ごすという道もありました。ただ、絶対に無理だとは思いませんでしたが、たまにしかママに会えないというのもどうかなって思って、それなら選択肢は一つしかないだろうって決めました」

短期的な収入については、海外赴任手当などを入れると、日本で共働きしていたときと遜色のない金額が入ってくることもマサシさんの背中を押したと言います。

キャリアにブランクができるという葛藤もあるけれど……

一方で、職が途切れるということへの不安もないことはないとマサシさんは続けます。

「僕は大学を卒業後、最初の数年間は海外でボランティア生活をしましたが、日本に帰国してからは、児童指導員としてNPO法人に就職して、ずっと正社員として働いてきました。それで、31歳というタイミングで仕事を辞めることになったのですが、この海外赴任が終えて家族で帰国するときはだいたい34歳くらいになっている予定です」

「キャリアにブランクもできるし、34歳という年齢的にも、再就職先が見つかるのか、不安はありますね。『何をしていたの?』って聞かれて、『専業主夫です』って言われたら、やっぱり雇用側からしたら疑問に思うところもあるでしょうから」

一方で、マサシさんは自分のような専業主夫を経験した人間が再就職し、キャリアを再開させることの意義も感じている。

「世間ではイクメンとか言われていますが、やっぱり“妻のお手伝い”という感じが大半を占めます。そういうのを見れば見るほど、男だって専業主夫として子育ても家事もできるし、一時的に仕事から離れたとしても、時期が来たらキャリアを再開させることができるってところを実践してやろうっていう気にさせられます」

そういう人が増えていけば、男性とか女性とかに関係なく、子育てや介護、パートナーの仕事上の都合などでキャリアを中断しても、またスムーズに復職できる社会の柔軟性が増えていくのではないか──周囲にはあまり大きなことは言わないようにしているが、マサシさんは心のなかでこのように思っているのだと言います。

週3回ほど子どもは現地の幼稚園に

海外での日々の生活についても聞いてみました。

「住んでいるのは首都になります。この国は治安が悪いと思われていますが、地方に行くと危ないところがあったりしますけど、ここはときどきデモがあって道路が封鎖されていることがあるくらいです」

子どもは週に3回ほど現地の幼稚園にあたるところに通わせており、その間に買い物や掃除をするのだそうです。それ以外の週4日は、子どもの面倒をみつつ、家事をして過ごしています。子育てについては、楽しいこともあれば、わがまますぎて嫌になることもあり、その割合は半々くらいだと言います。

「普段の妻は、朝8時40分くらいに家を出て、家に帰ってくるのが夜の8時くらいです。ときどき出張があって、泊まりのときもあります。ですから、家のことはほとんど僕がしている感じです。子育てから食事の用意、掃除、洗濯など。もともと僕は家事が得意なほうというか、前職もそうですけど、掃除とかには慣れているので、苦には感じていません」

月に1〜2回程度、小さな子どもがいる家庭同士で交流している

海外赴任といえば、「駐在妻」的な世界を思い浮かべる人も少なくないでしょう。そういった日本人コミュニティのお付き合い的なところは、どうしているのでしょうか。

「駐在員同士のつながりはもちろんあって、小さな子どもを持つ家庭も少なくありません。そのなかでパパ友もママ友もいます。パパ友は1人ですけど、彼は国際結婚で日本人の奥さんと結婚していて、仲良くさせてもらっています。ママ友のほうは、月に1〜2回程度、誰かの家に集まって、交流会をしています。いろんな情報交換とかできるので、とても助かっています。子育ての息抜きにもなりますしね」

すでに2人の出会いから結ばれるまでのことは記しましたが、実は2人は付き合っている当時からこんな話もしていたそうです。

「海外で生活することにしてもそうですし、家事をすることについてもそうなんですが、実は僕がそういうことを受け入れられる人間であることを、妻は結婚する前から見越していたのでしょう(笑)」

「思い返してみれば、結婚の話が出たときに、『海外についてきてくれる人がいいな』って言っていたので。僕としては、海外ボランティアの経験があったりしたので、あんまり深く考えることもなく、『海外生活いいね』って答えていました。職業柄、掃除とか洗濯もできるということもわかりますしね」

夫婦の役割は家庭によって異なる時代へ……

自身の海外赴任についてきてくれたマサシさんに対して、ハルコさんは感謝の気持ちを持っているといいます。

「自分で言うのも変なんですが、感謝はしてくれているみたいですね。彼女は大学時代から自分の道を切り開いてきて、それが今の仕事にもつながっています。もちろん苦労はあるけれど、やりたいことができている現状に満足しているみたいで、それは着いてきてくれた僕のおかげだと言ってくれています」

今回は、妻の海外赴任というキャリアのために夫が仕事を辞め、専業主夫として幼子を伴ってついていったご家族のお話でしたが、いかがでしたでしょうか。

夫婦の役割というのは、家庭によって異なるということを強く感じさせられた人も多いでしょう。「男性とはこうあるべし」「女性とはこうあるべし」という固定概念が和らぎ、より柔軟な考えが広がっていくと、誰もが生きやすい、働きやすい社会に近づいていくように思います。

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遠藤由次郎
フリーのライター兼編集者
1985年静岡県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスに。子ども2人の父親。自宅などで主に書籍の編集やライティングに携わりながら子育て中。研究者である妻の所属研究機関の変更を機に、2017年2月より拠点を東京から京都に変えている。