「病院には最初から2人で行きました。それから2年間近く、妊娠するために通院したのですが、極力主人の予定が空いている日を選びました」

妊活について解説した動画「きくねるねるきく」の撮影の合間にインタビューに応じてくださったのは、生まれたばかりの3人目のお子さんを抱えた東尾理子さんと石田純一さん夫婦です。お二人が結婚したのは2009年末のこと。その後、2012年11月に長男が、2015年8月に第二子となる長女が、2018年4月に第三子となる次女が生まれ、3人の子宝に恵まれました。

しかしながら、その道程は平坦ではありませんでした。著書『「不妊」じゃなくて、TGP 私の妊活日記』でも描かれているように、自身が妊娠しづらい体であることがわかった理子さんは、冒頭で書いた言葉の通り、妊娠するために病院へ通うことに。理子さんは続けます。

「マスクもメガネも帽子もせずに普通に通っていたので、主人の姿を見て病室がザワザワすることもありました(笑)。それでも主人は嫌な顔一つせず、ごく自然に付き添ってくれていました」

いったいどうして純一さんは理子さんの病院通いに付き添われたのでしょうか。今回の前編は、その理由やお二人の妊活、性教育への考え方について中心にお聞きし、後編(次回)は「5人となった今の家庭生活」や「夫婦円満の秘訣」などについてお聞きしました。

妊活は「ポジティブな願いを叶えるためのもの」だからこそ……

治療専門ではない、普通の病院にも通っていたというお二人。マスクもメガネも帽子もせずに堂々と理子さんに付きそう純一さんを見て、待合室がザワつくこともあったと笑いながら理子さんは話します。

「普通に夫婦で通院していたので、病院のスタッフの方が気を使って『別室でもお待ちいただけますけど?』って声をかけてくださることもありました。でも、私たちは“赤ちゃんが欲しい”というネガティブではなくポジティブな願いを叶えるために起こしていた行動でしたので、『ありがとうございます。このままで大丈夫ですよ』と応えて、待合室で普通に過ごしていました。もちろん時間帯によっては病院に迷惑をかけてしまうこともあるので、別室を使わせていただくこともありましたけど」

しかし、いったいどうして純一さんは理子さんと共に病院へ通うことにしていたのでしょうか。そのことについて、石田さんはこのように当時を振り返ります。

「最初にあったのは、余計なプレッシャーを感じさせてはいけないということ。それは理子だけじゃなくて、還暦が近づいていた俺自身にもいえることなんだけど、子どもができづらいということをプレッシャーに感じてはダメだと思ったんです。舅や姑が『まだなの?』とか『早く孫の顔が見たいわ』って重圧をかけることも精神的な負担になりますが、同じように病院に行くことをネガティブに捉えたら精神的な負担になりかねないないので、最初から極力2人で通うことにしたんですね」

純一さんに同調するように、理子さんもこう続けます。

「私たちは妊活をTGP(Trying to Get Pregnant)って呼んでいますけど、とにかく不妊という言葉から連想される負のイメージを払拭したかったというのは大きいです。つまり、『子どもをつくるためにチャレンジするんだ』って、そういうポジティブな思考で動きたかったということです。それに加えて、これは途中で気づいたことでもあるんですが、どちらか一方が先生から聞いたことをパートナーに伝えるよりも、一緒に先生の話を聞いたほうが、二人にとってメリットが大きいということです。治療方針を決めるときも、治療に伴う具体的な苦労についても、先生から直接話を聞いたほうが、パートナーからの協力が得やすくなるんです」

「確かにそのとおりですね」と純一さんもうなずきながら、妊活中のエピソードを明かしてくれました。

「『自己注射』というものがあるんですが、理子が自分で注射を打っていた時期には、俺も怖かったんだけれども、少しでも彼女の気持ちをシェアできたらと思って、一緒に注射を打つという経験もしました。そういうことをしたいと考えたのは、先生の話を直接自分で聞いていたからといってもいいかもしれません」

入籍前から「子どもの話」をしていたワケ

“妊活”という道程を経て、現在は3人という子宝に恵まれた理子さんと純一さん夫婦ですが、お二人は最初から複数のお子さんを希望していたのでしょうか。理子さんは次のように話します。

「まさか私たちが3人も産むことができるとは、妊活をしていた当時や、長男が赤ちゃんだったころには考えられませんでした。ただ、実際に自分で子育てをしてみると、やっぱり可愛くて可愛くて、『もうひとり欲しいな』って自然に思えて、2人目にトライしました。3人目については、もちろん欲しかったのもあるんですけど、年齢的にも少し難しいだろうなと思っていて、ダメ元といったら変ですけど、そこまで期待しすぎないようにしていたんですけど、幸運に恵まれて授かることができました。正直、私は一人っ子なので、あまりわかっていなかったところもあるんですけど、子どもが3人になることで、こんなにも “しっちゃかめっちゃか”な状態になるとは思っていませんでした。常に誰かが泣いているような感じです(笑)」

と、もともと3人という具体的な人数については、考えていなかったようです。では、そもそも2009年末に入籍するにあたって、“子どもの話”は出ていたのでしょうか。その点について、純一さんはこう振り返ります。

「俺もそうだし、理子もそうなんだけども、自分の考え方をはっきりと言うタイプなので、結婚する前というか、お付き合いをすると決める前から子どもの話は出ていました。彼女は結婚して家庭を築きたいと思っていたんですね。だから、“子どもは要らない”という人と付き合う気も結婚する気もない、というようなことをはっきり言われたことを覚えています」

理子さんもその当時のことを回想し、「彼に『どうですか?』って聞いたら、『いいですね』って答えてくれたので、『それならお付き合いしましょう』って答えました」と話します。そうした過程があったからこそ、一緒に病院へ行く、一緒に通院するということに、自然と向かっていったのだともお二人は口をそろえて言います。

「妊娠したら男が実家に帰っちゃったとか、子どもの話をしたら消えちゃったとか、笑えない話ってけっこうあるじゃないですか。もちろん人やカップルによりますけども、できればお付き合いするときや結婚を考えるときには、しっかりと子どもや家庭を築くことへのビジョンを共有しておいたほうがいいような気がします。それは若いころの自分に言うべきだったのかもしれませんけども」

子どもを授かってから気づいた「性教育の重要性」

また、理子さんは自分が子どもを授かってみて、「初めて気づいたこともあった」と言います。

「自分が子どもを授かってみて初めて気づいたことなんですけど、自分がまだ今の段階で『20代や30代だったら、もっと子どもが産めるかもしれないのにな』って思うことがあるんです。もちろん自分が選んできた人生に後悔はありませんし、やりたいことをやってきたからこそ、今の自分がいるし子育てを楽しめる余裕も持てているところもあると思います。だけど、やっぱりもしも年齢的なところを気にしなくてもいいのならば、『もうひとり』って思わないこともないんです」

「妊娠をどうしようと考えている方にいつもお伝えしていることですけど、家族をつくると一口に言っても、『自分たちの遺伝子を残したい』『出産してみたい』『子どもが欲しい』『家庭を築きたい』など、いろんな考え方があって、それによって選択肢も複数あります。だからこそ、“なぜ自分は家族をつくりたいのか”をきちんと考え、夫婦間でも話し合うことが大事なのだと思います」

一方で、純一さんは「教育の必要性について気付かされた」と話します。

「健康寿命はどんどん長くなっているけれども、妊娠適齢期*は変わらないんです。昔はそんなこと気にもかけていませんでしたけど、理子と一緒に家族をつくることに向き合ってきたことで、すごく実感しました。振り返ってみると、日本の教育の現場、つまり中高生向けの性教育は、避妊などの話が中心です。『妊娠しないため』『病気を避けるため』という文脈で話が進められていて、もちろんそれは大事なことだけれども、生殖教育も必要じゃないのかなって思っています。つまり、子どもがいつでも産めるという前提で教育するのではなく、『年齢を重ねると妊娠しづらくなる』とか『子どもを産みやすい年齢はいつなのか』とか、そういうことも含めてきちんと学校や家庭などで教えたほうがいいんじゃないかなってことです。そういった情報は、今の段階では自分から求める人には届くけど、逆に言うと求めなければわからない状態になっています。求める・求めないに関係なく、等しくみんなにそういった情報がいったほうがいいと思います」

(*妊娠適齢期については、「ワンモアベイビーラボ」でも、齊藤英和先生( 国立成育医療研究センター医師)や浅田義正先生(浅田レディースクリニック院長)らが詳しく説明してくださっています)

今回は、お二人の妊娠前のお話や妊活中のエピソード、考え方などをお話しいただきました。後編では、石田家の「5人となった今の家庭生活」や「夫婦円満の秘訣」について、お聞きしたいと思います。