2017年、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんやサッカー選手の大久保嘉人さんとともに、ベスト・ファーザー賞に選ばれた1人のお笑いタレントさんがいました。それは、佐賀県ネタでもお馴染みのはなわさんです。

人気番組「有吉ゼミ」(日本テレビ系)で、柔道一家を率いる大黒柱としての姿を包み隠さず見せてくれたり、最近では義父への感謝を込めた歌『お義父さん』を発表したり、同曲がもととなった本を出版したりするなど、「家族を思う」気持ちが人一倍強いはなわさん。

そこで今回、私たち1moreBaby応援団は、3児の父であり、愛妻家でもあるはなわさんに、「家族との生活」について聞いてみることにしました。

3人パパになったのは偶然!?

──はなわさんは、3児のパパとして、すっかりお茶の間の人気者になりましたよね。奥さまとは最初から子どもは3人と決めていたんですか?

「実は、ぜんっぜんそんなこと決めてなくて。特に3人目は予想していなかったんですね。けっこう2人目と3人目の年齢が離れていて、6歳違います。長男からだと10歳離れているので、『まさか』という感じで驚きました」(はなわさん、以下同様)

──はなわさんも男三兄弟の家庭で次男として育ってきて、自身も同じく3人の男の子の父親になった。それは偶然だったということですね?

「そうですね、2人目については作りたいねという話を嫁としていました。長男と次男は4歳離れているんですけど、それはなかなかできなかったということもあって。3人目については、本当に驚きました」

子どもがいたらかこそ経済的な壁は乗り越えられた!?

──1人目がお産まれになったときは、経済的に厳しかったという話をお聞きしました。具体的にはどういった状況だったのでしょうか?

「あの頃は厳しかったですねー。僕がまったく仕事がなくてですね、嫁が働いていたので、食わしてもらうような感じだったんですよ。最近、本(『お義父さん』KADOKAWA)を出版したんですが、本を書いている途中で久しぶりに当時の苦しい生活を思い出しました。若手芸人の売れない時期って、意外と忙しいんですよ。ライブをやったり、アルバイトをしたり、いろんなところに営業やら何やらで顔を出したりで。だから、長男が産まれた頃は、正直な話、今ほど子育てに関与できてなくて。嫁にばかり負担をかけてしまっていたなと反省しています」

──家族を支える大黒柱として、売れなければという思いが強くあったんでしょうね?

「そうですね。長男ができて、『どうしよう』という焦りとともに、頑張らなくちゃいけないって、ケツに火がついたところもあって、とにかく何が何でも売れてやるって、突っ走っていた。それが『佐賀県』という歌のヒットにつながっていって、ようやく経済的に余裕ができたという感じですかね」

──子どもができて現実に向き合わないといけないという中、なかなか売れなかった。そのとき焦りがあったと思いますが、奥さまはどのようなスタンスだったんですか?

「当時は23〜24歳でしたから、今思えばとにかく若かったなって。どうやって養っていったらいいのかということばかりが頭にあって、売れなきゃ売れなきゃという思いがすごく強くあって、必死にネタをつくったりしていた中で、芸人も辞めないといけないのかなとかそういうことまで思っていました。そんな中でも、本当に感謝しかないんですが、嫁は『ぜったい芸人をやめるな』って応援してくれていました。もし嫁も僕と同じように『どうしよう』ってなっていたら、芸人を辞めていたでしょうね。でも、そんなことなくて、常に前向きで『なんとかなるから!』って言い続けてくれて」

──子どもができたことでお尻に火がついて、死にものぐるいで頑張ったかいもあって、テレビに出るようになり、ヒット曲も出せた。その結果、経済的にも余裕が生まれた。そこから「2人目をつくろう」ってなったのは、自然な流れだったんでしょうか?

「そうですね。その頃には、経済的に余裕ができてきて、自分の気持ち的にも余裕が出てきたので、『2人目がほしいね』という話はしていました」

はなわさんの子育てへの関わり

──先ほど長男のときは、仕事で子育てに関われなかったというお話でした。2人目、3人目のときはいかがでしたか?

「2人目が生まれたときには、確かに経済的な余裕はありました。でも、正直、芸能界の仕事は浮き沈みがありますので、予断を許さないというか、まだまだ精神的には大変でした。だから、ちゃんと子育てというものを考えられるようになったのは、3人目からですね」

──3人目の子育てに関わってみていかがでしたか?

「とにかく大変だなって思いました。自分には無理だなと思いながらも、なんとかやっていましたけど、つくづく思ったのが嫁への感謝ですね。本当に前の2人を1人で見てくれた嫁にはあらためて感謝だなって思いながらやってきましたね。今、3人目が生まれて7年が経ちますが、その間はずーっとそう思い続けています」

──具体的にはどのようなことをお手伝いされるんですか?

「たとえば、今なら柔道の送り迎えとか。実は、できる家事はあまりなくて、食器洗いくらいしかできないんですよ。だから食器洗いは率先してやりますが、それ以外はできないので、嫁に任せています。あとは、嫁が家事をしている間は、子どもの面倒を見るという感じですね。もちろん上の2人は大きいので問題ないんですけど、一番下はまだ小さいので目が離せないですからね。あとは自由な時間をなるべくつくってあげたりとかも、なるべく意識してやっています」

ママは家族の中の太陽のような存在

──歌『お義父さん』の中にも出てきますが、普段はどんな奥さまなんですか?

「とても明るくて、家族の中で太陽のような存在ですね。彼女のおかげで家族が明るくなってすごく助かっています。ただ、ちょっと天然っぽいところがあってですね。最近、嫁のおばあちゃんが亡くなってしまったんですが、おばあちゃんが亡くなる瞬間に立ち会えたんです。それで、親戚とかみんなが集まっている中、『おばあちゃんラスト! ラスト!』って叫んでいたらしいです。柔道の応援じゃないんだからって、後でみんなに笑われていました。病床に伏している人に対して『ラスト』ってそれは失礼だよって。

それ以外にも、息子をジムに通わせようかっていう話の中で、近所にできたジムに直接話を聞きに行ったんですね。そうしたらジムの方が、『うちはちゃんと1人ずつにちゃんとトレーナーがつきますんでね』って言ってて、『それはいいですねー』と俺が受け答えしていたら、嫁の様子がなんかおかしくて、『おい、どうした』って聞いたら、『うちの子は体が大きいので、トレーナーじゃなくてTシャツでお願いします』って。『そのトレーナーじゃなくて、コーチのことだよ』って言ったら、『そんなブランド物じゃなくていい』って返されました(笑)。そんな調子なので、家族がとても明るくなって、すごく助かっていますね」

3人の子宝に恵まれ、とても楽しそうな家庭を築いているはなわさん。後編は、「家族との接し方」や「教育方針」などについて詳しくお聞きしていきます。