本連載は、女性(妻)の働き方や生き方に合わせて、男性(夫)側の働き方や生き方を変えたという子育て家庭の話を紹介するものです。

仕事と子育てに関する悩みは、一人として同じ人はいません。ですから個別のエピソードを紹介したところで「参考にはならないのでは?」と言う方もいるでしょう。

でも、参考にならなくても誰かの励みになることはあり得ると思います。そうした可能性を信じつつ、連載を始めたいと思います。

さて、今回ご紹介するのは、妻の仕事に合わせて「在宅勤務」という働き方を選んだ夫のお話です。

(※本連載に出てくる名前はすべて仮名です)

子育てに常識はない。でも、子育て家庭における仕事の場合は?

「誰かの常識は、みんなの常識とはいえない」

これは、現代において生き方や働き方を考えていくうえで、常に頭のどこかにおいておく必要があることだと思います。子育てに関する事柄においては、ことさらに「常識にとらわれるべきではない」といえるでしょう。

私自身、現在進行系で2人の娘の子育てをする中で、そのことを肌身で感じています。おそらく子育て経験者ならば、多くの人が頷くのではないでしょうか。実際、これまで国内外で多数の子育て家庭に対するインタビューに参加させてもらってきましたが、その中でも「子育ては、家庭の数だけ常識があるものだなあ」というエピソードが、そこかしこに転がっていました。

たとえば「聞いていた話ほど保活が厳しくなく、あっさり第一希望に入れた」や「よく眠る子で、睡眠不足に悩まされたことがない」といったプラスの意味でも、「ママ友は育休制度を使えたけど、私は退職に追い込まれた」や「いろんな策を講じだけど、何歳になってもオムツが取れない」といったマイナスの意味でも、「誰かの常識が、自分にはあてはまらない」という話は、思いのほかたくさんあるのです。

それにもかかわらず、子育て家庭における仕事については、「こうあるべきだ」という考えが、今なお多くの人の前に立ちはだかっているように感じます。

ではいったい、どうすれば既成概念にとらわれることなく、自分たちのベストなかたちを選択できるのでしょうか。今回のケースはその手がかりが隠されているような気がします。

「遠距離婚」を決断後に妊娠が判明

佐々木さん夫婦の夫・ヨシアキさん(33)は研究員として情報・通信サービス系の企業に勤めています。東海地方にある大学を卒業後、同大学院へ進学。その後、先に挙げた企業に就職しました。ヨシアキさんは東京にある研究所に所属しています。

一方でヨシアキさんの妻のアキコさん(35)は、愛知県内で公務員として働いています。じつはアキコさんが新卒入社したのは民間企業でした。銀行の一般職として7年ほど勤めたのですが、「精神的にきつい職場だったので、年齢的にあと2回だけチャンスのある公務員試験を受けてみた」ところ見事合格。転職に至ったのだそうです。

2人の間に子どもができたのは、ヨシアキさんが社会人になって1年目、アキコさんが転職して2年目のこと。佐々木さん夫婦は言います。

「じつは夫の就職が東京に決まったことで遠距離婚になったんです。その決断をして遠距離婚を始めてから子どもを授かりました」

この言葉どおり、じつは佐々木さん夫婦は結婚後、離れたところで暮らす決断をしていました。それまでは愛知県内に住んでいた2人ですが、ヨシアキさんの就職後は、ヨシアキさんは東京、アキコさんは愛知と、離れて暮らす決断をしたばかりだったのです。

「妊娠がわかった私は、親のサポートを受けられる実家に戻り、里帰り出産をしました。夫は(仕事を辞めて)愛知に来るという話をしていました。だからそのまま実家で待っていたのですが、なかなかすぐには来れないようでした。だから育休期間だけでも一緒に住んだほうがいいなと思って、東京に行くことにしたんです」

最長で子どもが3歳になるまで育児休暇が取れる公務員に転職していたアキコさんは、子どもが1歳を過ぎたときに自分が東京へ行き、家族3人で暮らすことにしたそうです。

ヨシアキさんはその頃の心境を次のように話します。

「子どもが生まれたら東京での仕事を辞めて愛知に行こうとしていました。でも、決心がつかなかったんです。というのも愛知県内で話のあった転職先候補が全国規模で転勤のある仕事だったので。とりあえずは愛知県内でということだったけれど、それで定住できるわけではなくて」

愛知県内での新たな仕事の契約期間は3年。その後、正社員という道を選ぶならば全国、ときには世界中を転々とする可能性がある……。ヨシアキさんは最後までそうした仕事に対する不安を払拭できず、その結果東京で働き続けることを選んだというわけです。

迫る育休明けに妻は一つの決断をした

「夫がそうしたやや不安定で、全国を転々とする可能性のある仕事を選ぶのならば、私はずっと仕事を続けないといけないなと思っていました。私の中では『一緒に住むために転職してほしい』というよりも、『やりたいことかどうかを重視してほしい』と思っていたので。

逆に今の東京での(安定した)仕事を続けるのであれば、むしろ私は仕事をやめてもいいのかなという気持ちもありました。でも、先ほども言ったように育休中の間は辞めずに『一緒に住んだほうがいいな』と思って東京で暮らしてみることにしたんです」

しかし、そうしたアキコさんの心境は、育児と家事に追われる中で変化します。実際に東京で暮らしてみると、育児と家事に専念することが想像以上に大変だったことに加え、ヨシアキさんの給料だけでやっていくことに若干の違和感を持ったからです。

「しばらくして『辞めてもいいや』と思っていたのは少し安易だったなと気付きました。育児や家事について、夫の協力がなかったから辛かったということではありません。むしろ帰りもそんなに遅くなかったですし、朝もわりとゆったりしていたので。

だけど、基本的には朝から帰宅するまでは子どもと2人きり。子どもと1対1でずっといる、というのがけっこう煮詰まるというか。それに加えて、夫の給料に頼り切る生活も少し馴染めなかったところもあります……」

もちろんそうした後ろ向きな気持ちだけで復帰を決めたわけではありません。

アキコさんは「子育てしながら働く、ということをやってみたい気持ちもありました。だから復帰しないで辞めてしまえば、復帰してみればよかったかなと後悔するかもしれないと思ったんです」と、そのときの気持ちを話します。

そうしてアキコさんは、再び遠距離婚になるけれど、職場復帰をする選択を選ぶことにしたのです。

無事保育園の入園が決まり、妻は復帰のために愛知県へ

2017年2月、佐々木家の2歳になるお子さんは、新年度からの保育園の入園が決まります。それはもちろん東京ではなく、夫婦離れ離れで暮らすことを意味する愛知県内の保育園です。

そしてアキコさんは2017年の3月に、母と子2人で愛知へと戻っていきました。

「実際に復帰したのは4月下旬です。慣らし保育があったので。保活ですか? 東京に比べればまだマシだと思いますが、2歳(3歳児クラス)で入園するのはやはり厳しいので、10箇所近くの保育園を見学し、最終的には比較的募集人数が多いと聞いていた第二希望に運良く入れました。

仮に東京の保育園事情に希望が持てる感じだったら、東京で仕事を探すということもできるのかなと頭をよぎったことがありました。けど、求職活動中の専業主婦では保育園に預けるのはハードルが高いですよね。特に認可保育園はほとんど可能性がゼロということを考えると、私が新たな仕事につけるのはだいぶ先の話になる。しかもそれはパートとかになってしまいますよね」

一度辞めてしまえば、保育園問題で壁に突き当たる可能性が高い──そう考えていくと、やはり夫婦別居になったとしても復帰するという選択肢は、特段に希なものではないでしょう。

東京に残る夫は上司に事情を説明。すると……

しかし、佐々木家は、当然「夫婦別居がベストな家族のあり方」だとは思っていません。可能な限り夫婦と子ども、みんなで過ごす時間を増やしたい。そこでヨシアキさんは、会社で上司に対して自分と自分の家族がどういう状態なのかをオープンに話しました。

「保育園の申込みの締切が12月。保育園が決まるのが2月。そして妻が(愛知県で)復職するつもりでいることなどの事情や状況は、上司に話していました。

実際に復帰するとなった2〜3月にかけて、上司から話が伝わった人事部から『関西支所での勤務はどうだ?』という提案があったんです。ギリギリ愛知から通えるって意味合いで。

ただ、自分にはいまと同じ研究業務がしたいという希望が強くあって、そうなると自分が関わる分野は、基本的にはいまのところしか研究所がない。で、もし(愛知県から通えるという意味で)あるとするならば関西だと。ただ、実際にはそこは自分が関わっている分野とは大きくずれるので、『ありがたいお話ですけど、できれば避けたい』と答えました。言っても愛知から関西に通うって、そんなに近くないですし」

妻のアキコさんが保育園の手続きを進め、引越の手配もし、実際に愛知県へ行ってしまう間、ヨシアキさんのほうは、「どうしよう」と路頭に迷っている状態が続きました。

会社から言われたのは「君の問題には答えがないよ」ということ。できてもこれだよ、と提示してきたのが先ほどの関西支所の話だったそうです。

そんなとき、人事部から提案されたのが、働き方を変えるという方法でした。具体的には、すでに制度としてあった在宅勤務を使うというもの。「在宅勤務をフルに使って、月の半分を愛知県で過ごしてみては?」という提案でした。

この企業では、在宅勤務という制度こそあるものの、利用する人はあまりいなかったようです。まして定められた上限の最大日間を使って、遠く離れた2箇所に拠点を持つというような働き方には、前例がありませんでした。

そんなような手探り状態で、ヨシアキさんは在宅勤務を使った2拠点生活が始まったのです。果たして、うまくいったのでしょうか?

実際に在宅勤務を使ってどうなったかについては、次回の記事にて。

遠藤由次郎
フリーのライター兼編集者
1985年静岡県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーランスに。子ども2人の父親。自宅などで主に書籍の編集やライティングに携わりながら子育て中。研究者である妻の所属研究機関の変更を機に、2017年2月より拠点を東京から京都に変えている。