本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

今回は、栗山徹さん(35歳・仮名)と美月さん(47歳・仮名)夫婦のお話です。共働きのお二人には、8歳と2歳のお子さんがいます。共通の知人の紹介で出会ったという徹さんと美月さん。12歳という年齢差を乗り越え、約4年の交際期間を経て結婚しました。

第一子の妊娠・出産は結婚から約1年後でした。夫婦ともに兄弟姉妹のいる家庭で育ったことから、自然と「子どもは複数いたらいいかな」という思いを持っていたお2人は、第一子の出産から半年後には「2人目」の妊活を開始したと言います。しかし、一喜一憂してしまう妊活生活が性に合わず、産婦人科に通った半年を含め1年半で積極的な妊活をやめました。

その後、妊活をやめて普段通りの生活のなかで2度の妊娠を経験しましたが、どちらも早期流産。しかし44歳のときの3度目の妊娠で無事に出産。どういった思いや葛藤があったのでしょうか。聞いていきます。

年齢差12歳を乗り越え結婚。式後数ヶ月で第一子を妊娠

12歳という年齢差を乗り越えて結婚に至った栗山さん夫婦ですが、実は美月さんにそこまで大きな結婚願望はなかったと言います。では、なぜ社会人2年目になったときの徹さんと結婚に踏み切ったのでしょうか。

「私が33歳のときに、当時大学生だった徹さんと出会いました。それから4年ほどお付き合いをしていたのですが、特に結婚願望は持っていませんでした。ただ、このままずっと一緒にいるんだろうなという感覚だけはありました。そうすると、彼が将来的に子どもを欲しくなったとき、すでに私は子どもが産めない年齢になっているかもしれない……と、逆算して考えたんです。それで、私のほうから『結婚するのはどうか』って提案しました」

まだ20代中盤に差し掛かったばかりだった徹さんは、少し驚いた様子だったそうですが、返事は「イエス」。そこからトントン拍子でお互いの家族への挨拶と結婚式を済ませました。

「37歳で結婚式をあげました。12歳という年齢差に関しては、家族からの反対は特にありませんでしたね。彼も私も1人暮らしでしたし、彼ももう社会人になっていたので」

そして結婚から数カ月後、美月さんは第一子の妊娠が判明しました。

「年齢もあったので、最初は産婦人科に行って、タイミングを見てもらいました。基礎体温を測って、いつがベストなのかを図っていました。ただ、厳密にやったのは最初の2回か3回くらいで、妊娠したときはすでに体温すら測っていませんでした」

妊娠中は大きな問題もなく、無痛分娩を選んだ出産自体もスムーズだったと美月さんは言います。

無痛分娩を選んだのも、生後3ヶ月で保育園入所も、自分たちにとってラクな方を選択

しかし、なぜ無痛分娩を選んだのでしょうか。

「知人や友人には出産経験者がたくさんいたので、その痛みや大変さは何度も耳にしていました。本当に私には絶対に無理だと思って、無痛分娩を選びました。少し予定日より早かったこと以外は順調そのもので、痛くもなかったです。これなら3人でも4人でも産めるなと、出産直後に思ったことを覚えています。麻酔のおかげなんですけど」

退院後、近場に住む義両親のサポートも得られたこともあり、スムーズに子育てを始められたと言います。

「ありがたいことに、何から何までサポートして、子育てにも口を出してという感じではなくて、必要なことだけをして、『何かあったらいつでも連絡してね』と帰る。いい意味でドライな感じで、とても助かりました」

その後、生後3ヶ月で職場復帰をした美月さん。保育園の入所がしやすい4月の0歳児クラスのスタートに合わせたということに加え、「楽なほうを選んだ」と言います。

「私の性格的に、日中に1人で子育てしているよりも、職場復帰してしまったほうが合っていると思いました」

生後3ヶ月で保育園に預けるとなると、母乳に関する苦労や心配も出てきそうですが、美月さんの場合は特に問題にならなかったようです。

「母乳をあげたのは最初の数回で、あとはほぼミルクで育てていたので特に問題はありませんでした。保育園に通う前も、行政が仲介しているベビーシッターサービスを活用したこともありました」

保育園に通い始めてからも、休日に夫と出かけるときなどには、託児サービスを使ったこともあるのだとか。

「とにかく頼れるものは頼るというスタンスだったんです」

自分たちがいかに〝ラク〟に子育てできるかに心血を注いでいたといっても過言ではない栗山さんご夫妻。そこには〝ラクをしたいということ以外にも理由がありました。

「夫に育児が大変だと思ってほしくなかったんですよね。たとえば、もし夫がアップアップの生活をしている私の姿を見たら、気遣いの意味で『2人目なんて要らないよ』と言ってくるかもしれません。もちろんそうなったほうがラクなのかもしれないけれど、2人目がほしいという気持ちがあったので、『大変だけれど、育児は楽しい』と思えるような生活をしようと、意識的にいろいろ工夫していました」

結果的に、「2人いてもいいかもね」と言い合えるような生活ができたと美月さんは語ります。

第一子出産から1年後、妊娠が判明するも流産を経験した

第一子の出産から半年後、徹さんと美月さんは2人目の妊活を始めました。結婚直後のときと同じように、産婦人科に行き、基礎体温を計り、生理周期を考えて生活をしました。しかし半年を過ぎても妊娠することはなく、美月さんは精神的にラクになるために積極的な妊活はやめたと言います。

「積極的に妊活をするのは、その半年でもうやめにしました。病院へ行くのももちろん終わりにしました。そうじゃないと、排卵日がどうかとか、生理が少しでも遅れたら、『もしかしたら妊娠かも』などと常に気になってしまいます。そんなふうに一喜一憂していたら心身ともにもたないと思ったんです」

すると、積極的な妊活をやめて半年後、妊娠が判明します。そのとき美月さんは41歳になっていました。

「普通に生活していたら、自然と妊娠したんです。ただ、いわゆる早期流産で、7週目くらいで流産しました。確か7週の妊婦健診の前に急につわりが軽くなったときがあって、検診してみたら心拍が止まっていることが判明したと記憶しています」

もちろん美月さんは高齢であるため、流産しやすいことは知っていました。ただ、第一子を産むことができたことから、一時的に流産が頭から消えていたのだとか。

「それこそ第一子を産んだときには、12週目までは流産しやすいということで、喜ばないように自重していたんです。でも、その子をちゃんと産めたこともあって、このときは最初から夫婦2人で喜んでしまったんです。それで、けっこうショックは大きかったですね。もちろん役所に行って母子手帳ももらっていたので、『これ、どうしよう』みたいな」

43歳で再度の流産を経験するも、そこまで大きなショックを受けずに済んだ

流産から約1年半後、美月さんは2度目の流産を経験します。このときも積極的な妊活はしておらず、自然な流れで妊娠したのだと言います。美月さんは43歳になっていました。

「正直なところ、41歳で流産を経験して、もう本当に自分のなかで妊活はやめたという気持ちでいました。42歳までは産む人もいるけれど、43歳ではほぼ可能性はゼロに近いと仰っているお医者さんの話も見たりしたので、もう妊娠することはないと思い込んでいました。だから妊娠がわかったときは本当にびっくりしたんです」

妊娠するとかしないとか、そういう話はなし。何も気にしない。そういうスタンスで過ごしていたという美月さん。「そうじゃないと、1人の子どもの子育てを楽しめないから」なのだとか。さらに2度目の流産に関して、こう語ります。

「調べてみると、43歳の妊娠の流産率は50%に近かったので、もうこれは意地でも喜ばないと夫とともに決めました。案の定、7週目で検診に行ったら、心拍が止まっていました。このときもつわりが軽くなったので、怪しいと思って慌てて検診に行ったらダメだったという感じです。稽留流産と言われました」

ただ、この2回目の流産は1回目のときほどショックは大きくなかったと美月さんは言います。

「期待をしなかった分、ショックは和らいだと思います。仮に、妊活をすごく頑張ってやっていて、そうなったのだとしたら、想像できないほどのショックだったでしょうね。私たちはもう、妊娠したらラッキー、流産しなかったらラッキー、というくらいの気持ちでいたので、精神的にはそこまで重たくならずに済みました」

しかし、その半年後、美月さん自身としては4度目、第一子を産んだ後としては3度目の妊娠を経験することになります。

43歳で判明した妊娠では「母子手帳」を受け取りに行かなかった理由

2度目の流産をした際、担当してくれた産婦人科医の先生から、意外なことを言われました。

「『流産になりましたが、妊娠した直後は妊娠しやすい体になっているので、風疹の注射をしておきましょう。免疫が切れているみたいなので』と言われたんです。『え? そうなんですか? 43歳で妊娠ってほとんどありえないんじゃないですか?』って聞いたら、『意外とそうでもないですよ。私の知る限りは、もっと高齢な妊婦さんもいらっしゃいましたよ』とのことでした」

その言葉を鵜呑みにして期待することはなかったけれども、「諦める」というのもまた違うフラットな気持ちになったと美月さん。

「気持ちをリセットできたというか、フラットな感じですよね。その経験はとてもよかったですし、ありがたかったと、振り返ってみて思います」

それから半年後、美月さんが44歳のときにもう一度妊娠しました。

「このとき実は、夫にすら妊娠のことは伝えずにいました。2回目の検診を無事に終えて、ようやく伝えたと記憶しています。母子手帳に関しては、2度目の流産のときにはもらわなかったですし、このときも9週の壁を超えるまではもらわないでおこうと思って。どこの役所も割とあると思うんですけど、母子手帳といっしょにいろいろなベビー用品をくれるじゃないですか。それも精神的に辛い部分もあったので」

本当に、産む直前まで心配し続けたものの、無事に2人目を産むことができました。もちろん2度目の出産も無痛分娩を選んだそうです。第一子を出産してから約6年。過度な期待はしていなかったけれど、待望の第二子を両手で抱えることができました。

「よく2歳とか3歳くらいの年齢差が推奨されてたりするじゃないですか。一気に子育てが終わるからとか。でも、意外と6歳差はラクですよ。たとえば下の子が私や夫が何を言っても聞く耳を持たないときに、上の子が言ったらスンナリと言う事を聞いてくれたり、グズっているときに『いまは放って置くしかないよ』と私たちにアドバイスしてくれたり。子どもだから気持ちがわかるみたいで、本当に助かっています」

「やめてから始まることもあるかもしれない」と語る訳

最後に、2人目の壁に悩んだり、ぶつかったりしている方々に向けて、美月さんはこんなことを言ってくれました。

「妊活や不妊治療を一度やめてみる、ということも1つの選択肢なのかなと思っています。私個人のことにすぎないですけど、これまで妊娠した4回はいずれも意識的に妊活をしていた時期ではありませんでした。積極的な妊活も不妊治療も、女性側はもちろん男性側にとってもストレスになってしまって、逆に遠のいていることもあるんじゃないかって思うんです」

さらにこう続けます。

「2人目とか3人目の妊娠や出産となると、高齢になってきますよね。そうなると、やはり流産の可能性は高まることになると思うのですが、流産したことはもちろん悲しいけれど、そこからの復活がどれだけ早いかが大事になってくると思いました。

いかに通常の生活、日常に戻れるか。長い間ひきずってしまえば、その分、さらに次の可能性が遠のいてしまうわけですので、流産してしまうのは仕方ないこと、産むまでのプロセスの1つという気持ちを持っておくと、希望も見えてきていいんじゃないかというふうに思います」

美月さんがそうした主張をするのには、理由もあります。

「世の中には妊活や不妊治療の情報が溢れるほどありますけど、一方で妊活や不妊治療をやめる方法や話ってほとんど出てきません。だから、私としては『やめてから始まることもあるかもしれない』ということを伝えられたらと思って、今回のインタビューをお受けさせていただいたんです」

美月さん、ありがとうございました。

いかがでしたでしょうか。栗山さん夫婦は、出産・妊娠、子育て、普段の生活などあらゆる場面で、いかにストレスなく過ごしていけるかに注力していることが、言葉の端々から感じられました。もちろん栗山さん夫婦のお話が、万人にとってあてはまるわけではないでしょうが、心の持ちようとしては非常に参考になる方も多いのではないでしょうか。

長文となってしまいましたが、最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。