出産から1年を待たずに第二子の妊活を始めた理由

33歳で第一子を出産した美佐恵さんは、1年を待たずに授乳を終えると、いくつかの理由からすぐに2人目の妊活を開始します。

「とにかく妊娠するには若いほうがいいと1人目の経験からわかったので、すぐに妊活をスタートしました。すでにお話したとおり、職場では治療のことは一切触れていなかったこともあって、育児休暇中に2人目を妊娠できれば理想だと考えたからです」

ただ、最初は自然妊娠への可能性を期待し、何度か自己流でトライしてみたそうです。

「不妊治療をやめたら妊娠したっていう話をよく聞きますよね。やっぱりどこかで自分もそういうジンクスめいたものを期待していた部分があって、自己流でタイミングをはかって、トライしてみました。案の定、上手くいきませんでした」

ただ、職場復帰する前に不妊治療を終えたい……そう考えると、自己流でしている余裕はあまりありませんでした。必然と、美佐恵さんは第一子を妊娠したときと同じ不妊治療の専門病院に足が向いていました。

「2人目のときは、最初から体外受精をすることにしました。1人目のときの成功体験が頭にあったので、割とポジティブに考えていて、最初の採卵で子宮内に戻せる卵が2つできた時点で、仮に1回目の移植でだめでも2回目で妊娠できるだろう、もしかしたら2人目いけるかもしれない。そんなことを思っていました」

しかし、ことは思い通りには運ばず、妊娠には至りません。2つの受精卵のうち、1つはランク(グレード)も高かったことから、おのずと期待値が高まっていましたが、その反動で心身ともに落ち込んだといいます。

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病院を転々とする中で積み重なっていく負担

ちょうどそんなタイミングで、美佐恵さんは妊娠のための体質改善に関する本を読んだそうです。その本がきっかけとなって、病院を変えることを決意しました。

「いろいろ、ある意味でシステマチックな方法がうまくいかなかったので、もうちょっと自分の体を見つめ直してもいいんじゃないかなって思えて。少し遠いものの、自然志向のクリニックに行くことにしました。そこで超音波検査と漢方、基礎体温を組み合わせたタイミング法をやっていきました」

それでも妊娠には至らず、紹介を受けた別の病院で卵管造影検査を行いました。すると、ここで初めて「弓状子宮」という不妊の原因が指摘されました。一般的に、弓状子宮は着床しづらいと言われています。

「直接的に不妊に影響しているかどうかは言い切れないものの、弓状子宮と言われる形をしていて、子宮自体が小さいとのことでした。加えて、やはりAMH値も低いということで、ここでの妊娠は難しいかもしれないと言われました」

そこで美佐恵さんは、さらに紹介を受けた別の病院へと転院します。そこは体外受精を実施しているものの、なるべく自然な方法で排卵を促す方針を取っていました。そのことが影響したのかは定かではありませんが、美佐恵さんに関しては思うように採卵が進まず、負担を感じるようになっていったそうです。

「そもそもその病院に通うのに、家からはけっこうな距離を移動しなければいけなかったんですね。さらに明日来てください、明後日来てくださいと、要請されるんです。それで半年ほど体外受精を頑張ったものの結果につながらず、これはどうしたものかと悩みはじめました」

心配した夫は「継続できる方法を選んだほうがいい気がする」と切り出した

美佐恵さんが悩んだ背景には、第一子の存在もありました。ありがたいことに、近隣に住んでいた実母に頼ることもできましたが、それでも基本的には自分が保育園の送迎と時短勤務をする中での不妊治療。1人目のときと同じようにはいかなかったと言います。

「夫も仕事の環境が変わっていて、1人目のときと異なり、通勤に片道1時間半を要していました。それでもできる限り協力してくれようとしていましたが、思うようにいかない中、夫婦で衝突することも少なくなかったです」

当時の気持ちについて、勇太さんはこう述懐します。

「そのときは単純に妻の負担を考えて、そんな遠くまで頑張って行く必要があるのかなって思ったことがありました。もちろん本人がそうすると言うのならば、私の都合のつくかぎり一緒に行こうと考えていましたし、実際に努力していました。しかし、以前に比べて職場が遠くなったこともあって、一緒に病院に行くことが難しい時も多くなりました。一緒に行けないときはほんと〝ごめんなさい〟って感じでいたので、上の子を迎えにいかなければならないときなどは、当日欠勤になろうが基本的に会社を休んだり、半給を取ったりしていました」

そうした一連の不妊治療の中で、気持ちのズレが生じてきたそうです。勇太さんは美佐恵さんの負担のことを考え、「1人目がいるんだから、2人目はできたらラッキーというくらいの気持ちで取り組もう」というスタンスでしたが、他方の美佐恵さんは「多少に意固地になっていたかもしれない」というほど、2人目にこだわっていたそうです。

この5つ目の病院に必死になって通う美佐恵さんの姿を見かねた勇太さんは、ある時、こんなふうに切り出したと言います。

「『もし2人目をつくることをゴールにしていくんだったら、いつまで続くかわからない。だから通いやすい病院にするとか、継続できる方法を選んだほうがいいような気がする。自分も近ければ近いほど一緒に行けるから』と伝えました」

第一子を妊娠した病院で再スタートすると……

結局、美佐恵さんの考えも、無理なく通えるところにしたほうがいいだろうとなり、第一子を妊娠した病院へ戻ることにしました。

「行きやすいところはどこかなと検討し、一度は通うのを辞めたものの1人目のときに成功したこともあるし……ということで、元の病院に戻ることにしました」

戻った病院では、迷うことなく体外受精からスタート。排卵誘発法は以前と同じでしたが、受精卵の解析システムで最新の技術を活用するようになっていたそうです。それが功を奏したのかはわかりませんが、最初の採卵でできた1つの受精卵がうまく着床し、出産することができたと言います。

結局、35歳のときに美佐恵さんは妊娠し、念願だった2人目を妊娠、出産することができました。米村さん夫妻は結婚当初から子どもが複数ほしかったのでしょうか。勇太さんはこう言います。

「基本的に子どもは2人以上ほしいと、夫婦で意見は一致していました。それに加えて、1人目を出産した後、2人目を妊娠する家族が気になってきて、保育園でも2人目ができたっていう話が自然と耳に入ってくるようになりますよね。焦りみたいなものを、どんどん感じていったように思います」

「こういうことを言い出せば切りがないかもしれませんが、ちょうど同じときに保育園に入ったお母さんたちが、どんどん2人目の子を妊娠していくんですよね。それはけっこう辛かった記憶はありますね」(美佐恵さん)

最後(後編)に、不妊治療が与えた仕事への影響についても聞いていきます。

※本インタビュー記事は、不妊治療を経験した人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。