本当は2人以上の子どもが欲しいにもかかわらず、その実現を躊躇する「二人目の壁」。1more Baby応援団が全国の子育て世代の約3000人に対して行った調査では、7割以上の方がこの「二人目の壁」を感じていると回答しています。

この記事では、そんな「二人目の壁」を実際に感じている方、感じたことがある方に行ったインタビューの内容をご紹介しています。もしかしたら、あなたの「二人目の壁」を乗り越えるためのヒントが見つかるかもしれません。

今回は、佐戸川宏樹さん(35歳・仮名)と智美さん(40歳・仮名)夫婦のお話です。地域活動を通じて知り合ったお二人には、4歳と1歳のお子さんがいます。

佐渡川さん夫婦は、遠距離婚(別居婚)をしていた約5年前に、人工授精で第一子を妊娠・出産しました。その後、第二子を希望したものの、宏樹さんから「もう人工授精はしない」と言われた智美さん。そこで漢方を処方してくれる産婦人科や鍼灸院に通いながら、タイミングをはかりつつ自然妊娠を目指したところ、約1年後に妊娠し、2人目の出産を無事にむかえられました。

どういった葛藤や苦労、そして喜びがあったのでしょうか。詳しく聞いていきます。

仕事か妊娠か……悩んだ末に選んだのは「検査」

「よく、『そんなので結婚しているの?』って言われていました。いまだと二拠点生活は割と一般的ですけど、当時はそこまで理解されていなかったように思います。1人目が1歳になって保育園に入るタイミングで、はじめて一緒に住むようになったんです」

およそ10年前に出会った佐渡川さん夫婦。数年の交際期間を経て、結婚したものの、同居することなく夫婦関係を続けてきました。コロナ禍も手伝って、今ではすっかり市民権を得た感もある二拠点生活ですが、当時は稀有な存在だったようです。そうしたなかで智美さんは、第一子の妊娠のための不妊治療に臨みました。

「(5歳下の)夫は若いこともあって、あんまり結婚や子どものことに関心がなかったようです。30歳を過ぎていた私は、結婚するなら早くしたかったですし、結婚するのであれば、1人目は30代前半で産んでおきたいなと思っていました。確固たる意思というよりは〝何となく〟ですけど」

30代前半で第一子を……。そう考えたものの、智美さんは自分で立ちあげた仕事のプロジェクトがちょうど波に乗り始めようとしていたタイミングでもありました。仕事と妊娠を天秤にかけた結果、智美さんは「まずは検査」という道を選びました。

「その当時、仕事が忙しくて1年とか2年があっという間に過ぎ去る日々でした。そのなかで妊娠できなくなったらどうしようと不安になることもありました。というのも、いくつかのインターネットの記事で、年齢と卵子の関係について読んだからです。『気づいたらAMHの値がすごく下がっている、つまり残っている卵子がすでに少なくなっていて、妊娠しようにも遅すぎる。そんなことは、もっと早く知りたかった』というような内容です。それで、『AMHの検査をしたい』とかかりつけの産婦人科医に相談したんです」

すると、その医師からは「不妊の原因はAMHだけではわからないから、AMHの検査だけをしてもやる意味はあまりない。やるなら他の検査もやらないと」とたしなめられてしまったのだとか。智美さんはこう続けます。

「そもそも別居婚しているから、『あなたには検査を受ける権利がない』というようなことすら言われた記憶があります。『夫婦生活を送っているとは言えません』みたいな。だから、ちゃんとチャレンジして、2年経っても妊娠しなかったら、また検査にきてくださいと突き返されそうになったので、せめてAMHの検査くらいはしてくださいとお願いして、AMHの数値だけは見てもらうことができました」

二拠点生活のまま妊活を試みるも時間だけが過ぎていった

検査の結果、AMHの数値は悪くありませんでした。そのため、智美さんは「焦る必要はない」と、仕事のプロジェクトを優先することにしました。

「二拠点生活が続くことになりますが、そのときは数値だけ見て安心して、仕事のほうを取りました。夫のほうは楽観的なので、『そんなに心配することないよ』と言ってくれていました。そのポジティブな言葉に支えられる面もありますが、ときどき憤りを感じることもありましたね。『いや、本当に真剣に考えているの?』って」

その後、二拠点生活をするなかで、智美さんは生理周期を気にして生活するようになりました。

「二拠点生活といっても、そこまで遠くない(公共交通機関で約4時間)ので、月に1回くらいは一緒に過ごせるような感じでした。そこで、一緒にいられる日を排卵日くらいに設定するように調整していました」

ただ、それから半年、1年、1年半と時間が過ぎても、妊娠する兆候は感じられなかったようです。そこでもともと重かった生理痛を診てもらうために通ったことのある産婦人科の病院に足を運んだといいます。

「1年半経っても音沙汰がないので、何となくおかしいなと思いまして、通ったことのある産婦人科の病院に行きました。そこで検査をしてもらったら、卵巣嚢腫があるという診断でした。後にMRIで精密検査をしたら違ったんですけど、そのときはエコーで検査したら、5センチくらいの大きい卵巣嚢腫があって、卵巣か卵管かがねじれて破裂したりすると大惨事になると言われたんです」

さらに、智美さんは「妊娠に影響するのか」と聞いたそうです。すると……。

「私の記憶では、『卵巣嚢腫だから妊娠できないということはないんだけれど、そもそもあなたはもう35歳になっているのだから、妊娠したいんだったら早くしたほうがいいですよ』というようなことを言われました。それから、再検査のためにもう少し大きな病院に行ってMRIを撮ったんですが、卵巣嚢腫のほうは思ったほど悪くなかったんですけど、別で子宮腺筋症があるということが判明しました。子宮腺筋症のほうは生理がくるたびに進行していくものだということでした」

このとき医者から「どんどん生理痛が重くなっていないですか?」と聞かれた智美さん。彼女には思い当たる節があったようです。というのもその当時、毎月かならず2日間は生理痛で寝込むほどだったからです。すると、医者から意外なひとことが。

「『あなたの子宮内膜症と卵巣嚢腫の一番の治療は妊娠することですね』と言われたんです。そのうえで、1年半にわたってタイミングをはかって妊娠を試みてきたことを伝えたところ、『今すぐ不妊治療の病院に行ったほうがいい』とも言われました。私としてはAMHの検査から2年しか経っていないから安心していた面もあったのですが、お医者さんの対応がそのときとまったく異なっていて、びっくりした記憶が色濃く残っています」

不妊治療をめぐって夫婦で意見が食い違った

不妊治療を勧められた智美さんは、さっそく不妊治療をしている病院を訪ねました。智美さんは一通りの検査を受け、2度目の通院の際には宏樹さんも検査をしました。しかし、不妊の原因は特定できず、子宮内膜症も不妊の直接の原因になっているほど酷くはないという診察結果でした。

「確固たる不妊の原因はわからなかったので、手術はせずにそのまま不妊治療に入っていった感じです。覚えているのは、卵管造影の検査はやってもらった際に、『これから3ヶ月くらいは卵管の通りがよくなるから、(妊娠のための)ゴールデンタイムですよ』と言われたことです。実際、それから4ヶ月目くらいに妊娠できました。そのときはタイミング療法ではなく人工授精による妊娠でした」

実は、この不妊治療に関して、宏樹さんと智美さんの間には、意見の食い違いがあったようです。

「正直な話をすると、すごく喧嘩しました。私は今を逃したら妊娠できないかもしれないと思って、必死になって動いていたのに、夫は『不妊治療してまで子どもは要らない。ましてや人工授精なんて』という態度だったからです。不妊治療にはお金も時間も手間も取られますし、不妊治療をしたところで必ず妊娠できるわけではない。人によっては何年も続けることになる。だから夫の意見もわからなくはないけれど、辛くなる一方の生理痛や子宮内膜症を軽減するためにピルを飲むなどの対処をして、『もう子どもは絶対に要らない』という選択を私はできなかった。だから、『消去法的にも不妊治療しかないよね』という結論だったので、夫にはそう伝えました」

なんとか宏樹さんを説得し、人工授精に臨むことができた智美さん。当時、年齢が35歳になっていたことから5、6回ほどチャレンジしてみてダメだったら体外受精などにステップアップしなければならないと考えていたようですが、幸いなことに2度目の人工授精で妊娠が判明しました。ただ、妊娠発覚時の智美さんは素直に喜べなかったようです。

「私はすごくマイナス思考に入ってしまっていたので、喜ぶのは早い。ぜったいに流産するからって思っていました。というのも、子宮内膜症だけでなく、軽度の子宮腺筋症もあったからです。子宮腺筋症の場合、流産率が普通の人の倍になるという話を聞かされていました」

安定期に入るまでに、2度も流産する夢を見るほどでした。しかし、その2度目の夢から覚めたときに、「これではダメだ。産まれるんだろうか、ではなくて、産むんだ」と心の中で固く決意表明をしたそうです。

第二子の妊娠のために海外製の排卵検査薬を購入した訳

その後、食べづわりを経験しつつも、助産院で無事に出産できた智美さん。その後、智美さんは職場復帰し、新生児を抱えながらの二拠点生活と仕事を続けました。しかし、第一子が1歳になると、少しずつ職場に連れていく生活が難しくなっていきました。

「1歳になって動き回るようになったら、やっぱり子どもを連れての仕事は厳しいことがわかってきました。それで2拠点生活は打ち切りにして、夫がいる東京のほうで保育園を利用しつつ、働きつづけることにしました。首尾よく就職先も見つかりましたので」

保育園に預けるようになると、授乳回数が減り、第二子を強く意識しだしたと智美さんは言います。

「実は、第一子の性別がわかったときに、もちろん残念な気持ちがまったくなかったのですが、一方で自然ともう1人(別の性別の子どもが)欲しいと思ったんです。それで、授乳回数が減って生理が再開したときに、ふたたび『やっぱりもう1人がほしい』と強く思って、夫に伝えたところ、あまり乗り気ではない様子でした。どうやら経済的な理由も含め『人工授精はもうやりたくない』と。少し意外でした。というの、も、結婚したタイミングで子どもの話はしていて、2人以上ほしいよねということで一致していたからです」

ただ、「自然妊娠のためにタイミングをはかることはできる」とも言われた智美さん。そこで足を運ぶことになったのが、漢方による不妊治療に積極的な産婦人科医院でした。

「そこは本格的な不妊治療はしないものの、体質をみながら漢方を出してくれたり、卵胞のチェックなどをしてくれたりしました。そこに通いつつ、不妊のための鍼灸治療をしているところも通いました」

加えて、タイミングをはかるための排卵検査薬も使ったのだとか。

「でも私自身、仕事で忙しくてなかなか思うように夫婦生活を営めなくて。市販されている検査薬も買って調整してみたんですが、やっぱり『今夜みたい』とか『あしたよろしく』というような感じになってしまう。それだと仕事の面でも、精神的な面でも調整が難しかった。それで海外製の精度の高い排卵をチェックする検査薬をわざわざ買ったんです。それだと、一応5日前にはわかるということだったので、仕事も体調も準備することができる。それで1年くらい経ったときに、妊娠が判明しました。流産することもなく、その子が2人目になります」

遠距離婚や不妊治療を乗り越え、4人で充実した日々を送っている

2人目の妊娠期間はコロナ禍ということもあり、宏樹さんはほとんど在宅勤務していました。そのおかげもあって宏樹さんによるフルサポート体制のもとつわり期間を乗り切り、第一子の子育ても問題なく乗り越えられたと言います。

「結果的には、夫の子育てスキルは格段に上がったと思います。もともと家事全般もできる人だったので、言うことはないですよね。ちなみに、性別は希望通りの子どもが生まれましたよ」

現在は4人暮らし。第一子が第二子のことを想像以上にかわいがってくれていることも含め、非常に充実した日々なのだとか。智美さん、お話をどうもありがとうございました。

別居婚や智美さんの病気を巧みに乗り越え、2人目の壁を突破した佐渡川さんのお話、いかがでしたでしょうか。おそらく智美さんの言葉以上の、葛藤やストレス、そして喜びがあったのだと想像できます。

インタビューの終わりに智美さんが残してくれた、「私自身、自分の選択してきたことに後悔はないので、同じように悩んでいる人がいたら参考にしてほしい」という言葉からも、力強さのようなものを感じるのは私だけではないはずです。