今回ご紹介するのは、47歳の吉村忠司さん(仮名)と46歳の浩子さん(仮名)夫婦です。忠司さんが32歳、浩子さんが31歳のときに一人目となるハネムーンベビーを授かりましたが、そこから二人目ができるまでに6年の歳月を要しました。実際の不妊治療期間は約2年。どんな思いで治療に臨んでいたのでしょうか。聞いていきます。

ストレスを感じやすい体質だった

お二人の出会いは大学を卒業後でした。就職した会社の先輩、後輩として出会い、同じ営業部で切磋琢磨したそうです。そのときには戦友という間柄でしたが、忠司さんは実家の家業を継ぐため、浩子さんは別の仕事にチャレンジしたいという思いから、共に転職を決断しました。

「転職後は、特にお互いのことを気にかけることもなく、それぞれの暮らしをしていました。そんなある日、街なかで偶然に再会しました」

二人は意気投合し、食事にいく仲になりましたが、それぞれ別のパートナーもいたことから、交際に発展することはなかったそうです。そんなある日、久しぶりに食事に出かけると、偶然にも同じタイミングで別れていたことがわかったそうです。

「そこからトントン拍子で付き合うことになり、1年ほどで結婚することになりました。ただ、その結婚式が大変でした。仕事のストレスによる自己免疫疾患で、全身の毛が抜けていったんです。それがちょうど結婚式の一カ月前。だから式はかつらを使ったんです」

病気をきっかけに仕事を辞め、自宅療養をしたという浩子さん。もともとストレスが溜まると生理不順などになりやすかったため、婦人科系の病気には気をつけていたそうです。そんなこともあり、1年ほど自宅でゆっくりと過ごしました。すると、体調は徐々に良くなっていきました。

「すぐにできる体質」だと思うようになった2つの理由

もう大丈夫だろうというタイミングで、吉村さん夫婦はハネムーンで南国の島へ飛びました。

「すぐに子どもが欲しいということもなかったのですが、夫婦で話し合って、“これからはいつできてもいいよね”となったので、ハネムーンを機に解禁したんです。それがまさかすぐに妊娠するとは、びっくりしました」

旅行期間は1週間ほど。新婚ホヤホヤというわけでもないこともあって、「そんなに何度もしたわけではない」そうですが、帰国してまもなく妊娠していることがわかりました。

「実は、私の父が12人きょうだいなんです。だから、おばあちゃんの血を継いだんだなって思いました。すぐにできる体質だから、むしろ逆に気をつけないといけないなって」

一人目が無事に生まれ、子育てに追われる日々を過ごす中、「二人目はもう少し間をおいてから」と避妊には気を配っていたという浩子さん。一人目が3歳になるかならないかときに向かった沖縄旅行で、「そろそろいいかもしれない」と解禁したそうです。

「一人目のときもあったので、すぐにできるだろうと夫婦で思っていました。むしろ誕生日はこれくらいのときがいいかもしれないと、具体的な出産予定日を逆算する余裕すらありました」

そうした思いとは裏腹に、なかなか妊娠しませんでした。半年が経ち、自分なりに基礎体温を測るなどしてタイミングを計ってみるもうまくいかず、自宅近くの産婦人科医院に行くことにしました。

「とにかくまずは相談してみようと、気軽な感じで行きました。そこまで焦っていたわけではありませんが、友人やママ友などから二人目の妊娠の話が次々と出てきたので、おかしいなという気持ちが少しずつ膨らんでいった感じです」

*写真はイメージであり、本文の登場人物とは関係ありません。

不妊治療専門病院に通った一年半

その病院で言われたのは、多嚢胞という卵胞ができすぎて溜まってしまい、排卵がうまくいかない障害でした。専門的なところで見てもらったほうがいいというアドバイスをもらった浩子さんは、友人から「体外受精に成功した」という病院を教えてもらい、通うことにしたそうです。

「最新の設備が整っているということ、それからキッズスペースがあって一人目を連れて行くこともできると聞いたので、通うことにしました」

この不妊治療専門病院でも、やはり多嚢胞性卵巣症候群ということで、排卵誘発剤の投薬によって排卵を促そうと試みたそうです。しかし、なかなかうまくいきませんでした。そうした中、忠司さんも検査をしてみましたが、「問題ない」という結果だったため、引き続き浩子さんが治療を続けていくことになりました。

「精神的にかなり堪えました。専門の病院なので、すごくシステマチックになっているので、病院側の冷たい感じと患者側の暗い雰囲気が重なって、けっこうストレスになっていました。これは、勝手に自分で思っていただけのことですが、『あなたは子どもがいるのに贅沢。1人もできない私たちとは違う』というような無言の圧で、申し訳ない気持ちを終始抱いていました」

加えて、薬も辛かったと言います。体に合わず、薬を飲んだ日は船酔いをしたような感覚になって動けなくなることもしばしば。病院からは、経口薬よりも強い注射治療を勧められたこともありましたが、これを固辞。結局、うまくいく兆候は出てこないまま、1年半の通院に終止符を打つことにしたそうです。

不妊治療の小休止中にまさかの…!

「小休止と私たちは言っていました。不妊治療を一旦ストップしたいと夫に言うと、夫のほうも私が不妊治療で気分が落ち込んだり、薬で辛い目にあっている姿を見ていたので、大いに賛成してくれました」

病院通いはやめたものの、浩子さんは「1人目ができたのだから」と別の方法で何とかなるのではないかと思い続けていたそうです。そうした中、インターネットや友人の口コミなどを参考にしながら、不妊に効くとされる食品や健康法を試していきました。

「そのなかの1つがたんぽぽ茶です。たまたま調べていたら家からそう離れていないところに、漢方薬を扱うお店があったので、寄ってみることしました。そのおじちゃんが、すごく明るい人で根拠もなく『大丈夫だよー!』と言ってくれるんですね。冷たい感じがする専門病院通いで気分が落ち込んでいたこともあって、その明るい感じに私は馬が合ったんです。とにかく、これを飲めば大丈夫と言われ、4月からたんぽぽ茶を飲み始めたんです。もちろんそれ以外にも健康には気を配っていましたし、別の食品を試してみたりもしましたけど」

ただ、あくまで妊活は休止中。たんぽぽ茶などは、あくまで次の治療に向けた体調管理の一環に近いイメージだったそうです。実際、生理が止まった4ヶ月後の8月には、「また体調が悪くなったのかな」と心配になったほどだという。

「結果からいえば、それが妊娠でした。夫とは『いつのどれ?』と話すほど、意外で、とにかく驚きが先行しました」

基礎体温が上がっていて、まさかと妊娠検査薬を使うとくっきりと線が見えたそうです。周囲に報告すると、病院に通っていたことを知る友人などは心から喜んでくれました。

*写真はイメージであり、本文の登場人物とは関係ありません。

漢方薬店ではストレスを感じなかった

「不妊治療をやめた途端に、妊娠するって言う話は、ときどき聞きますよね。まさか自分がそうなるとはと、本当に驚きました。最終的にたんぽぽ茶で不妊が改善されたように聞こえるかもしれませんが、私としてはもっと総合的なものだと思っています。不妊治療の薬は飲むのがすごくストレスでしたが、たんぽぽ茶は味も自分に合っていて、飲むのがストレスに感じませんでした」

少し得体の知れないおじちゃんの根拠のない前向き言葉も、専門病院で落ち込んだり、一人目の育児で疲れていたタイミングだったからこそ、プラスに働いたのではないかと分析する浩子さん。だからこそ、不妊治療中の人に対して、「たんぽぽ茶がいいよ」と軽々しく推薦することはないそうです。

「事情も、思いも、体調も、個人個人でまったく違います。だから、私は“こうしたらどう?”と簡単に人には言えません。たまたま私はそれでうまくいった。それだけのことだと思っています」

過去を振り返って、「こうしておけばよかった」と思うこともあまりないと言います。

「たとえば一人目の後に、すぐに二人目に行っていれば、回り道をしなくてすんだということもあるかもしれません。実際、健康食品や漢方薬も含めた二人目の不妊治療中に使ったお金は200万円ほどになります。でも、一人目の子育て中は慣れていないこともあって、すごくピリピリしていました。そのなかで二人目もとなったら、生活はもっとぐちゃぐちゃになっていたかもしれない」

「そうやってあらためて考えていくと、確かにきょうだいは2〜3歳差がいいなという漠然とした思いはあったものの、6年の間が空いたというのは、それはそれで必然なのかなと思っています」

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。