今回ご紹介するのは、現在、6歳の子を抱える34歳の横井ゆかさん(仮名)と47歳の健史さん(仮名)夫婦です。子どもが大きくなり、少しずつ自分の時間が持てるようになったゆかさんは、空いた時間を活用してネイリストとして活動しています。一方の健史さんは、ホテルにあるレストランのシェフとして働いています。お二人の結婚に至る経緯から不妊治療に至るまで、じっくりとお話を聞きしました。

出会いは職場。相手は13歳年上の先輩だった

片道2時間をかけて通った大学を卒業後、ゆかさんが就職先に決めたのはホテルでした。憧れの仕事だったというわけではないけれど、業界の中では大手で、大好きな地元にとどまることもでき、若手でも責任のある仕事を任せてもらえると聞いて決心しました。

入社して間もなく、小柄で可愛らしいゆかさんにアプローチをしてきたのが、同じ会社でシェフをしていた13歳年長の健史さんでした。

「職場の上司・部下という関係で出会いましたが、ほどなくして付き合い出しました」

一回り以上、年齢が離れていることについては、ゆかさんはほとんど気にならなかったそうです。というのも、当時から、ゆかさんは結婚願望が強く、子どもがほしいと思っていたからです。

「まわりに20代前半で結婚する人はいませんでした。早く結婚するのならば、ある程度相手は年齢が上になるのかな〜みたいふうに思っていました」

交際期間2年を経て、ゆかさんが24歳、健史さんが37歳のときに結婚をしました。

結婚後も仕事を続ける意欲があったゆかさんですが、「同じ建物の中で夫婦が働くのは避けてほしい」という職場のプレッシャーがあり、異動の希望を出したそうです。

「提案されたのは新しくオープンする施設でした。立ち上げはすごく忙しいし、夫の立場も考えて退職することにしました」

“20代だし、避妊さえしなければ、すぐにできる”と思っていた

結婚してから一緒に住み始めたゆかさんと健史さんは、お互いのことを知る期間を設けました。そして半年ほど経った後、もとより子どもがほしいという気持ちが強かったゆかさんは「そろそろいいんじゃない?」と伝え、妊活をスタートさせました。

そのとき、25歳をむかえたばかりだったゆかさんは、「避妊さえしなければ、普通にすぐできるだろう」と考えていました。しかし、その考えとは裏腹に、妊娠の兆候はまったくあらわれませんでした。

「確かに私は小5で始まって以来、生理は重いほうで、定期的ではありませんが、ときどき婦人科に通っていました。そのかかりつけの病院で妊活のことを伝えると、簡単な検査をしてもらいました。小さな筋腫はあるけれど、気にするほどのものではないとのことだったのですが……」

2年近く自然妊娠を試みましたが、うまくいかなかったことから、ゆかさんは話し合いの場を設けて、健史さんに「不妊治療をしたい」と伝えました。が、返ってきたのは不妊治療に消極的な言葉でした。

「『そこまでしなくても自然に授かるまで待てばいいんじゃない? それに、子どもがいない人生でもいい』と言われました。私は瞬時に『ちょっと待って!』ってなりました。『私は子どもがほしいからあなたと結婚した』とまでは言いませんが、でも子どもは早くほしかった。それに、子どものことを考えると、のんびりしていられないのは既にアラフォーに突入していた夫のほう。結果的に、話し合いというよりも、私の意見を一方的に伝えるというような感じになってしまいました」

*写真はイメージであり、本文の登場人物とは関係ありません。

不妊治療を始めると、夫婦の温度差が露見してきた

予想に反して、なかなか子どもができず、夫である健史さんとの間には温度差もありました。そんな中、しびれを切らしたゆかさんは、不妊治療のため産婦人科医院を訪れました。

「そのとき26歳でしたが、まわりは年上ばかり。“まだ若いのに”というような視線というか、無言のプレッシャーを感じました。意識しすぎかもしれませんが、ずっとうつむいていました」

病院に通い出したゆかさん。最初に行った検査で、性感染症がわかりました。

「判明した性感染症でも、不妊の原因になるということだったので、薬を飲んで治療しました。そのときに、夫の分も処方されたので、薬を渡すと『俺から移ったという証拠はない。なぜ飲む必要があるのか』と言われました」

それならば検査したらどうかと伝えたそうですが、なかなか応じてくれませんでした。なんとか説得して、応じてくれたのが精子の検査で、「やや数が少ないということでしたが、極端に少ないわけではないので、問題ないだろうという結果でした」と言います。

不妊治療は最初、タイミング法を行いました。できる限り排卵日を狙って、性行為を行っていきました。

結婚後、仕事が忙しいなどの理由から、健史さんから誘ってくることが極端に減っていたため、基本的に誘うのはゆかさんから。そんなある日、健史さんからこんなことを言われたそうです。

「『妊娠のためにセックスをするというのは、自分としてはあまり乗り気になれない』と言われました。実際に、『今日はごめん』と断れることもありました。最後のほうは勃たなくなることもあって、どうやら精神的に追い込まれていたようです」

1年ほどタイミング法を続けましたが、結局うまくいきませんでした。その間、同世代で不妊治療に悩んでいる友だちはおらず、相談できる相手がいなかったため、かなり辛い時期だったと振り返ります。

「20代後半に入って、少しずつ友人も結婚し出しました。すると、ほどなくして妊娠の報告があるんです。『なんでうちはだめなんだろうか』とふさぎ込むこともありましたね」

相談相手として、ゆかさんは自身の母にも頼ったこともありましたが、「子どもができないのは、精神的に子どもだからだ」と嫌味を言われ、ぶつかることも多々あったそうです。

とにかく孤独の戦いを強いられる中、インターネットのブログで、女性タレントが不妊治療の様子を綴っているのを見つけ、心の支えになっていたとも言います。

7回の人工授精も失敗。体外受精へと移行した

1年のタイミング法を経て、病院からすすめられた人工授精をすることにしたゆかさん。7回のチャレンジをしましたが、成功することはありませんでした。

「精神的なダメージが大きかったですね。人工授精を行って、生理が来たときの気持ちは、不妊治療をした人じゃないとわからないと思います」

それが何回も続いたので、気持ち的にはギリギリだったと言います。特に、パートとして働いていた時間は気が紛れるものの、帰宅してから帰りが遅い夫を待つ一人のときには、有る事無い事を考えてしまったそうです。

「5回目の人工授精がだめだったときに、先生から体外受精の話が出ました。そのときに具体的な金額の話もあったと記憶しています。夫に相談したら、かなり高額になるし、もう少し人工授精でやってみようということになり、もう2回ほど人工授精を試みました」

しかし、うまくいきませんでした。そこでゆかさんは、体外受精に進む決断をしました。

「体外受精を一回だけやってみて、駄目だったらもう諦めようと思っていました。そうしたらその1回でできたんです」

最後の一手という覚悟で臨んだ体外受精。採卵した結果、卵子は数多く取れたものの、受精後、移植できる胚盤胞に育ったのは1つのみでした。凍結できるチャンスもなかったそうです。しかし、その1つが成功しました。

「体に戻すときをモニターに映しますよね。不思議なんですけど、光ってみえたんです。この子はきっと大丈夫。そう信じていたら、本当にきちんと育ってくれました」

28歳で無事に第一子を出産したゆかさん。そのときに感じたのは、「体外受精をすればすぐにできる」ということでした。

「それまでに自然妊娠でも、人工授精でも、なかなかうまくいきませんでした。でも、体外受精をしたら1回でできました。だから、おごりではないんですけど、それをすればできるんだろうなって思ってしまったんです。それは私もですが、夫のほうもそうだったみたいで…」

*写真はイメージであり、本文の登場人物とは関係ありません。

2人目の不妊治療を試みるも……

2歳差くらいできょうだいを作ってあげたい、そして健史さんの年齢のこともあり、第一子が1歳になったころには、「卒乳をしたらすぐに2人目にチャレンジしよう」と考えていたとゆかさんは言います。

実際に、2歳を目前にして第一子が卒乳をすると、ゆかさんはまた不妊治療のため病院に行きました。

「自然妊娠も試みたのですが、すぐにできることはありませんでした。頭には『体外受精をすればすぐにできる』というのがあったので、ほどなくして第一子のときと同じ病院に行き、人工授精も飛ばして最初から体外受精をすることにしました」

周囲への配慮から、幼い第一子を連れての病院通いは避けようと、病院に行くときは実家に預けたり、キッズルームを利用したりしていたものの、常に都合がつくわけではなかったため、子ども同伴の日もあったそうです。

「病院では視線をすごく感じました。ただ、本当に申し訳ないと思いながらも、どこかで『この子も体外受精で生まれたんだよ』って言いたい自分もいました」

第一子のときは1回の体外受精で成功しましたが、同じ用にはいきませんでした。1回、2回と続けてうまくいかず、「まさか」という気持ちが募っていきました。

「夫とも相談して、金銭的にも精神的にも、3回が限界だろうという結論に至りました」

その3回目もうまくいかなかったゆかさんは、「今いるこの子が生まれてきてくれた奇跡に感謝して、全力で愛情を注ごう」と2人目を諦める決意を固めました。そのときゆかさんの年齢は30歳。葛藤はなかったのでしょうか。

「子育てしながらということで、不妊治療は二重に負担もありました。1人目の子育てにそこまで慣れていない状況で、経済的にも厳しい。そういうことで、諦めたわけですが、だからといって気持ち的にスパッと諦められたわけではありません」

街なかで子だくさんな賑やかな家庭を見たり、ママ友から妊娠の話を聞いたりすると、いいなぁと思うこともあるというゆかさん。あるとき、母との間でこんなこともあったそうです。

「実の母が、知り合いとの立ち話で『2人目はどうなの?』って聞かれたことがあったそうです。そのときに『要らないみたいわよって答えた』ということを私に報告してきたんです。私の葛藤も知らないで、そんなことを軽々しく言わないでほしいと、言い合いになりました」

救われたのは、子どもからの言葉。

救われたのは子どもが4歳になる前後に言ってきた「大好きなママは、自分だけのママがいいから、弟も妹もいらない」という言葉だったそうです。

今では子どもが1人だからこそ経済的な余裕が生まれたと考え、頻繁に旅行にでかけたり、お稽古ごとにお金や時間を費やしてあげているのだとゆかさんは話します。

結果的に、第二子の不妊治療を断念したゆかさんですが、過去の自分を振り返ってみると、「できる限りのことはしてきたつもりだけれど、ちょっとひねくれていたかもしれない」と言います。

「入り口から、本当は女の子がほしいというひねくれた気持ちがありました。『授かれるならば、どんな子でもいい』という気持ちから入ったほうがよかったと思います。『あのときこうしていたら…』『こうなっていたら…』ということも思いますし、不妊治療を通じて失うものも得るものもたくさんありました。そういう経験は貴重だと思っていて、今仕事で、女性のお客さまと一対一で接する時間も少なくないので、そのときに相手が悩んでいたら、いろいろとオープンに伝えていけたらと思っています」

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。