『世界一子どもが幸せな国』といわれるオランダ。
これは、ユニセフの『Innocenti Report Card11』によるものです。
私たちは2016年の秋に、その要因を探るために現地を訪れ、政府機関や企業、保育施設から小学校、一般家庭に至るまで訪問し、その柔軟な働き方や夫婦の関係性、子育てなどについてインタビューを行いました。
そして、その結果を『18時に帰る』という一冊の本にまとめました。
コロナ禍である現在、オランダの人たちはどのように日々を過ごしているのか。柔軟な働き方や子育ては、どのように活かされているのか。
私たちはオンラインを使用し、インタビューを実施いたしました。

『18時に帰る 』「世界一子どもが幸せな国」オランダの家族から学ぶ幸せになる働き方

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単行本: 224ページ
出版社: プレジデント社
言語: 日本語
定価:1500円(税別)
発売日:2017年5月30日

 

Vol.5とVol.6で紹介するのは、ハネスさん(44歳)とミックさん(44歳)夫婦です。14歳、10歳、7歳のお子さんをお持ちのお2人は、人口約1万人の小さな町に住んでいます。彼らは平屋の一軒家に暮らしており、広い庭では大型犬を飼い、家庭菜園もしています。

最初にインタビューを行ったのは、父親であるハネスさんです。ハネスさんは生徒数が250人と150人の2つの小学校の校長先生をしています。いずれの学校も日本ではオルタナティブ教育として知られるルドルフ・シュタイナーの価値観に基づいた教育を行っています。労働時間は週に50〜60時間で、月曜から金曜まで休みなく働いています。

1人の人間としてこの世の中でどのように成長していくのかという考え

─お忙しいなか、お時間を取っていただきましてありがとうございます。まずはハネスさんが校長先生をされているという学校についてお聞きしていきたいと思っています。どういった学校なのか、簡単にご紹介いただけますか?

「僕はルドルフ・シュタイナーの考え方に基づいて教育を行っている学校の校長をしています。この学校は街の北側と南側の2ヵ所に校舎を持っていて、それぞれ150人と250人の生徒がいる小学校になります。この生徒の数は年々増えている傾向にあり、人気のある学校の1つといっていいと思います*」
(*オランダの小学校は学区制がない)

─なぜ生徒の数が増えているのでしょうか?

「シュタイナーの教育に共感する人が増えていることは大きな1つの要因です。端的に言えば、子どもに認知的な学習方法を与えるだけでなく、1人の人間としてこの世の中でどのように成長していくのかというシュタイナーの考え方を尊ぶ親が増えているということです。それから近年は、オランダの西側にある大都市のアムステルダムやデン・ハーグ、ロッテルダムといったところからバランスの取れた住環境であるこの街に移住する人が増えています。そうした彼らのなかにもシュタイナーの学校に子どもを入れたいという人が少なくありません」

─シュタイナーのようなオルタナティブ教育は、旧来型の意味での進学率(学歴)は低い傾向があると言われてきたと聞きました。オランダでは学歴社会・学歴主義みたいなものが廃れてきているということでしょうか?

「とてもいい質問だと思います。かつてシュタイナーのようなオルタナティブ教育は、フリースクールと呼ばれ、国や政府の枠組みとは別のものとして運営されてきたため、大学に行かない子どもが多かったのは事実です。20年くらい前のことですね。しかし、いまは国の最低限のカリキュラムやルールに則って運営されています。

そのためオルタナティブ教育だから進学率は低いということはなくなってきています。実際、我々の学校は中学校に進む前に実施される学力テストにおいて、全国の平均よりも高い数字になっています。もちろんこの学校に通わせている親自身が高学歴であるという要因も見逃してはならないものですけれど」

コロナ禍のロックダウンのなかの学校運営

─コロナ禍での学校運営は非常に大変だったと思います。振り返ってみて、最も困難だったことはなんでしょうか?

「1つを挙げるとすれば、子どもたちと直に触れ合うことができなくなった点です。ここに学校があり、先生がいて、生徒がいて、同じ空気感を共有するなかでお互いを感じることができました。しかしロックダウンと学校閉鎖によってそれがなくなり、社会的なつながりが途絶えてしまったことは非常に悲しいことでした。

その後、ほどなくしてオンライン教育を実施していくことになったのですが、どうオンライン教育をオーガナイズしていくのか、実施していくのかということを考え、つくりあげていく段階でも多くの困難がありました。それはまさに、長い長い旅のようなものでした」

─通常の教育が難しくなったというなかで学習の進行具合はいかがですか。

「オランダではまず教育評価試験が全国の学校を対象に行われました。学校閉鎖やオンライン教育が子どもたちにどのような影響を及ぼしているのかを把握するためです。そして、子どもたちの差が大きくなったという問題が浮き彫りになりました。元々勉強ができる子はそのレベルを維持でき、勉強が苦手な子はますます苦手になってしまった。そこで政府は学習支援のために使える助成金を各学校に割り当てました。

その使いみちはいくつか提示され、各学校はそれらのなかから任意で選んでいくという方法です。我々の場合は成績がよくない子どもたちにインテンシブ(集中的)に教えるために、臨時の先生を雇って別のグループとして授業を行っています。そのおかげもあって、学力差はだいぶ縮まってきたと感じています」

─助成金の使いみちは他にもあるんですね。

「はい。たとえば18人のクラスを14人に減らしてクラスの数を増やすという学校もありました。クラスを増やすためには新しい先生を雇い入れる必要がありますが、その費用として助成金を使うということです。しかしこのやり方は少し問題があって、有名な学校や人気エリアにある学校はたくさんの先生が雇えますが、そうでないエリアでは新しい先生を雇うのが難しくなります。要は人気のある学校にばかり人が集まっていき、さらなる格差を生んでしまうのではないかということです」

子どものストレスを考慮し、学校閉鎖中でも緊急学童に来てもらう場合もあった

─元々オランダでは先生不足という問題が生じていると聞きました。

「そうです。だから、我々は先生不足への影響がより少ない方法を選んだということもあります。それから助成金の半分はすでにいる先生たちの成長のために活用しています。彼らがいまよりも質の高い教育を実施できるようになるため、勉強する機会をつくるようにしています。ちなみに来年度は全国の小学校にいる1人の生徒に対して700ユーロ、その翌年は500ユーロの予算がつくことが決まっていますので、それを使ってどんなサポートができるのか、試行錯誤していきたいと思います」

─コロナ禍では先生たちの苦労もすごかったのではないでしょうか?

「非常に大変でした。每日、明日がどうなるのかわからないという状況でしたから。先生自身も病気になったり、体調を崩して検査をしたり。もちろんその結果を持たなくてはいけませんでした。幸いにもこの学校ではあまりコロナに感染した先生はいませんでしたが、それでも常に状況が流動的で、心が休まる暇もなかったほどです」

─オンライン授業はすぐに慣れたのでしょうか?

「マイクロソフトのTeamsを活用したオンライン授業を実施しました。みんながそれを使えるようにしたり、パソコンやタブレットがない家庭には、それは数軒でしたけど、貸し出したり、特別に校舎に来てもらって学校のパソコンを使ってもらったりすることで対処しました。そうしたなか、オンライン授業であっても、先生たちにはオンラインビデオを使ったり、電話をしたりなどで、個別に生徒とのコミュニケーションの時間を取るようにお願いをしました。

両親が医療関係者という子どもなどで、学校の中に設けられた緊急学童を利用しているケースもありましたので、先生が直接そこに会いに行くということもしてもらいました。加えて、家庭の環境・状況があまり良くなさそうだと先生が感じたときには、医療関係者でなくとも、親や子どものストレスを軽減するために緊急学童に来るようお願いすることもありました」

多忙にも関わらず、子どもたちがパパの顔を忘れることはないと確信する理由

─ここからは学校ではなく、ハネスさん自身のことについて教えてください。ハネスさんは元々アーティストだったと聞いています。でも、いまは校長先生ですね。経緯を教えてください。

「第一子が2歳か3歳になったとき、いまから12年くらい前のことですが、当時は妻のミッケとともに演劇の仕事をしていました。アーティストとして働いていたということです。やはりそういう仕事は夜中に働くこともありますし、忙しいときと暇なときの差が激しかったり、もちろんお金の面でも不安定だったりしました。そうしたなか、『このままの生活は難しいだろう』という話を妻としました。そこで美術の先生の仕事を増やしていき、学校のマネジャーという仕事に変え、学校の校長先生になりました」

─労働時間はどのくらいですか?

「現在は週60時間働くこともあります。実は、校長先生という職種に就いたばかりの7年前はいまよりももっと長く働いていました。とにかくこの仕事はやることがたくさんありますから。でも、いまは割り切っていて、夕方になったら仕事を終わらせて帰るように努めています」

─一般的なオランダ人よりも労働時間は長いですよね? 妻であるミッケさんの合意は得ているのでしょうか?

「もちろん常に妻とは話し合いをしています。こういう働き方や労働時間に変えたいと思っているけどどうか、というものです。合意を得られない場合は、もっと話し合いを重ねます。かつては少し僕のほうが意固地だったかもしれませんが、3人の子どもがいるいまはより彼女の言葉に耳を傾けるようになっていて、物事をフレキシブルに考えるよう努力をしています」

─先ほど校長先生になったのが7年前ということでした。ちょうど3人目のお子さんが生まれたタイミングですよね。そのことと転職は関係があったのでしょうか?

「3人目が生まれたことはあまり大きな問題ではありませんでした。むしろ1人目が生まれたときが最も大変でした。つまりアーティストという自由な仕事や生活を変えていくところです。それを超えたあとは、現状をアップデートしていくだけでよかったので、むしろどんどんやりやすくなってきていると思います」

─別のオランダ家庭へのインタビューのなかで、オランダ政府のキャンペーンCMの話が出ました。仕事ばかりしているお父さんが、子どもに「これは誰?」と思われているというものです。そういう状況にはなっていませんか?

「もちろんそのCMは覚えていますが、私はそういうふうになっていないと思います。もちろん家に仕事を持ち帰らなくてはいけないときもありました。特にコロナ禍ではすべてが変わってしまったので、やることが無限にありました。それでも仕事は仕事、家庭は家庭で割り切って、家にいるときは父であり夫であり続けました。具体的には、僕は毎日料理をしていますし、子どもや妻とも毎日接しています。彼らは僕の顔を忘れることはできないはずです」

コロナ禍によって夫婦の絆がより強固になった理由

─コロナ禍によって仕事の仕方で変わった部分も多かったのでしょうか? 子どもたちの学校閉鎖にはどう対応しましたか?

「先ほども言ったように、コロナによって仕事の量はすごく増えました。そのなかで子どもたちは学校閉鎖によって自宅にいることを強いられました。緊急学童といって、必要な場合は学校閉鎖中にも子どもを預けることはできましたが、最初のロックダウンのときには私たちはそれを週1回に留めて、残りは自宅で過ごすようにしました。なぜかというと、緊急学童で行うオンライン授業と、家庭で妻や僕がいる前で行うオンライン授業では、その質が大きく異なると感じていたからです」

─なぜでしょうか?

「緊急学童は様々な学年・クラスの子どもたちが混ざっており、しかもその顔ぶれが一度として同じということがなく、さらに同席する先生も毎回異なっていたからです。そうした環境下では、落ち着いて勉強することは難しいといえます。もちろん社会と接することも大切です。重要なのはそのバランスだと思います」

─子どもたちが家にいるなかで、在宅勤務をしなければいけないときもあったかと思います。それについてはいかがでしたか?

「非常にストレスフルだったと感じています。特に、妻がいないときには難しかったです。末っ子はまだ7歳なので、ラップトップの使い方がよくわからないと言ったり、もちろん真ん中の子もときどきトラブルが起きたりと、目が離せない状況でした。ただ、妻のほうがフレキシブルに働いていますので、たいていの場合、彼女が対処してくれて非常に助かりました」

─その経験を経て考え方も変わりましたか?

「もともと妻と僕は強い絆で結ばれていましたが、それがより強固になったと思っています。そのなかで、もっと彼女をサポートしてあげるべきだと感じています。やはりコロナによって少し家庭と仕事のバランスは崩れていましたから。あまりにも学校に関するやるべきことが多すぎました」

─たいへんお忙しいなか、学校でのことそしてご家庭のことについて教えていただきありがとうございました。

続いて、vol.6では妻であるミックさんにお話を聞いていきます。

(著者)
秋山開
公益財団法人1more Baby応援団
専務理事

「二人目の壁」をはじめとする妊娠・出産・子育て環境に関する意識調査や、仕事と子育ての両立な どの働き方に関する調査、啓蒙活動を推進。執筆、セミナー等を積極 的に行う。 近著の『18時に帰る-「世界一子どもが幸せな国」オランダの家族 から学ぶ幸せになる働き方』(プレジデント社)は、第6回オフィス 関連書籍審査で優秀賞に選ばれている。二男の父。

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(著書)
『なぜ、あの家族は二人目の壁を乗り越えられたのか?』ママ・パパ1045人に聞いた本当のコト(プレジデント社)
『18時に帰る』「世界一子どもが幸せな国」オランダの家族から学ぶ幸せになる働き方(プレジデント社)

(講演・セミナー例)
〇夫婦・子育ての雑学を知る!「ワンモアベイビー 2人目トリビア」 など
〇著者が語る、オランダの働き方改革 ~オランダが「世界一子どもが幸せな国」になれたわけ~