1978年、イギリスの生理学者ロバート・ジェフェリー・エドワーズによって、世界で初めて体外受精による女児が誕生しました。その翌年の1979年より卵子の研究を始め、不妊治療に携わってきたと同時に、産婦人科医として数多くの妊娠・出産を見守ってきた堤治先生。

今回は、東京・山王病院の名誉病院長でありながら、現在もなお、出産の現場に立つ堤先生に行ったインタビューの模様をご紹介したいと思います。「日本の不妊や不妊治療の現状」「プレコンセプションケアの重要性」「卵子凍結」という、これからの日本社会で避けては通れない3つのテーマについてお聞きしました。特にWHO(世界保健機関)も提唱し、国際的に推奨されてきているプレコンセプションケアは、ぜひ皆さんに読んでいただきたい内容です。

【プロフィール】
堤 治(つつみ・おさむ)
医療法人財団順和会山王病院名誉院長、医療法人財団順和会山王病院リプロダクション婦人科内視鏡治療センターセンター長、国際医療福祉大学大学院生殖補助医療胚培養分野教授。過去には東京大学医学部産婦人科教授や山王病院院長などを歴任。東宮職御用掛として皇后雅子さま御出産の主治医を務めた。日本を代表する産婦人科医の1人。

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本の不妊/不妊治療の現状とその要因

──本日はお時間をいただきましてありがとうございます。最初に、日本の不妊治療の現状について教えてください。

「まず、基本的に不妊治療で妊娠される方は、年々増えています。特に令和4年4月からは保険適用にもなりましたので、2022年は7万人になるのではないかと考えています。少子化が進むなかで、2022年の出生数全体は77万人という推計が出ています。つまり生まれてくるお子さんが10人にいたら、1人は不妊治療を経ているという状況が、すぐそこまで来ているといえます。そのなかで、たとえば体外受精に関していえば、日本は世界で一番といってもいいくらい普及しています」

図1

──不妊治療が増えている要因は、具体的にどんなことが考えられるのでしょうか。

「一つは女性の社会進出です。女性の有職率が高まると、結婚する年齢が上がります。当然、妊娠・出産をする年齢も上がっていきます。やはり年齢が上がると妊娠しにくくなります。日本の不妊治療の特徴は、治療を受ける人数のピークが40歳くらいにあることです。日本社会のなかで、働きながら結婚、妊娠、出産、さらに子育てができる体制が整っていないことが関連していると思います。

図2

たとえばアメリカですと、不妊治療のピークは34歳だといわれていますし、女性の社会進出が進んでいる欧米全体でみても、日本ほど結婚年齢は上がっていません」

──年齢と妊娠の関係についてもう少し詳しく教えてください。

「年齢が上がると妊娠率は下がっていきます。特に35歳以降の妊娠率は年々下がりますので、不妊治療のピークの1つが40歳にある日本は、必然的に治療あたりの妊娠率が、統計が取れている国のなかでは最低レベルであるとなっています。医療技術として日本は本当に優れています。世界のトップレベルであるということは間違いありませんし、若い世代の妊娠率は差がありません。治療を受ける方の年齢が高いことが、治療あたりの妊娠の成功率を下げているといっていいと思いますね」

図3

──具体的には、何歳くらいだと高い妊娠率が担保できるのでしょうか。

「20代がベストですが、30代前半でもそれほど差はありません。はっきりいうと、35歳以降、1年1年妊娠率は下がっていきます。40歳以降、特に43歳以降は満足いくような数字は出ません。妊娠率は20代だと50%程度ですが、43歳だと10%未満となります。最初に保険適用の話を出しましたが、40歳以上の方には制限がかかり、43歳以上の方は保険適用外となっているというのは、そうした妊娠率を考慮したものであると考えられます。もちろん現場の感覚からすると、妊娠するのに大変な方も含めサポートしていきたい思いはありますけれども」

図4

──保険適用によってどのように変わったのか、端的に教えてください。

「施設によって料金体系が異なりますが、体外受精の1回の治療で100万円がかかったとします。排卵から移植までですね。そこには消費税も含まれているので、保険の設定では80万円くらいになります。自己負担割合は3割ですので24万円となります。高額医療費制度に申請すると10万円、場合によっては8万円で治療が受けられるということになります」

──先ほど43歳の方の妊娠率が10%未満というお話がありましたが、それは単純にいうと10回やれば1回妊娠するという計算になるのでしょうか。

「基本的にはそうですね。ただ、43歳の方でも卵巣の機能が良い状態だと1回の採卵で10個くらい良い卵が取れるかもしれない。そうすると1回目の移植で妊娠するかもしれません。一方で、43歳以上になると卵がなかなか取れないという方もいます。1回あたりに良い卵がどれだけ取れるのかというところは、妊娠率と大きく関わってくるところです。そうはいっても、私が担当したなかでも、48歳で体外受精の1回目で妊娠し、49歳で出産された方がいました。だから、たとえば年齢が43歳以上の方で、まだ一度もトライしたことがないまま〝自分は保険適用外だから不妊治療をしてはいけない〟と決めつけてしまうのはちょっと違うのかなと思っています」

──あくまで保険適用か適用外かというのは、金額的な負担の話ということですか?

「43歳から始める不妊治療だって当然あっていいわけです。それまで治療してこなかったのならば。一方で、30代から43歳になるまで不妊治療を頑張ってきたけど結果が出なかったという場合には、体外受精などの高度な治療はやめて、自然のなかで妊娠できればいいかなというふうに方針を変えることもあっていいと思いますね」

不妊で悩まないために重要な「プレコンセプションケア」とは?

──不妊の要因についても詳しく教えてください。年齢が上がると、なぜ不妊になるのでしょうか。

「不妊の要因は大きくわけて3つです。1つは卵子に関係したもの。排卵機能とかですね。もう1つは精子。3つ目が子宮や卵管の問題。精子と卵子が出会って着床する場所とも言いかえられます。しっかり検査をすれば要因を特定することもできるので、その治療を施していけばいいわけです」

──では、不妊治療を行ううえでのハードルはどこにあるのでしょうか。先ほど日本は不妊治療をする年齢が高いというお話もありました。

「私がいる山王病院(東京)の患者さんを対象にしたアンケートですと、仕事との両立が最大のハードルになっていました。仕事をするなかで、時間を作るのが大変である、と。一方で、全国規模の統計調査では、経済的な負担が最も大きく、次に時間的な問題、3番目が精神的な部分、4番目に肉体・体力的な問題がハードルとなっているようです」

──空気感も含めて、社会システムが変わっていかないと、少子化問題は解消に向かっていかないといえそうですね。それと同時に、不妊で悩まないために個人個人ができることもあるのではないかと思います。いかがでしょうか。

「プレコンセプションケアというものが、とても重要な概念であると思います。もともとプレコンセプションケアはアメリカで生まれた言葉です。たとえば葉酸は、摂取が不十分だと神経管の障害が相当な確率で出てしまいます。逆に言えば、妊娠をする前から摂取しておくと、それは防げるものです。いかに葉酸摂取の重要性を国民に伝えるかが、アメリカにおけるプレコンセプションケアのスタートであったといわれています。私の考えでは、いまの日本ではより大切な概念なんだと思っています」

──それはどうしてでしょうか?

「プレコンセプションケアというのは、いろんな教育が含まれています。教育というのは、要するに妊娠する仕組みです。たとえばアメリカでは、精子と卵子が受精して子どもが生まれるということを小学校で教えます。ところが日本では、小学校でも中学校でも高校でも精子や卵子、生殖といったテーマを話す機会がなかったり、あったとしても非常に慎重に行おうとするわけですよね。卵子は加齢によって妊娠しづらくなるとか、そういう知識がないままに頑張って働き続けて、40歳になって初めて産婦人科に行って、そうした事実を知らされるわけです。

ですから妊娠を考える前から、そういう妊娠にまつわる知識を学ぶこと、妊娠できる健康な体をどう守っていくかを知ることが重要で、それらをプレコンセプションケアによって実現していく必要があるのではないでしょうか」

──具体的にはどんなことをしたらいいのでしょうか。

「すごくたくさんのことがありますね。たとえば風しん。妊娠中に風しんのウイルスに感染すると、胎児に罹ります。そういう知識が事前にあれば、風しんのワクチンを打っておこうという気になります。子宮頸がんもそうです。子宮頸がんになると子宮を取らざるを得なくなりますから、それを予防するためにワクチンを打つ。インフルエンザも例外ではないです。インフルエンザは、特に妊娠初期に罹ると、流産したり、重症化することが知られています。こういった知識を身につけることも、当然プレコンセプションケアの1つであると思います」

──プレコンセプションケアという枠組みをつくって、運用していく可能性もあるんでしょうか?

「たとえば卵巣機能の測定や、性感染症や子宮頸がんなどに罹っていないかなど、そういうものをまとめてプレコンセプションケアとして提供することなどはできると思います。子育てに力を入れているような自治体などで、そういったものを費用負担なしで提供することも考えられると思います」

「卵子凍結」という選択のメリット・デメリット

──将来の不妊を防ぐという目的があるとするならば、卵子凍結というような様々な選択肢も伝えていくべきかもしれませんね。

「そうですね。先ほどからお伝えしているように、卵子は加齢によって数が減ったり、質が低下していったりします。これは、時計の針をもとに戻すことはできない部分です。ただ、時計の針を止めておくことはできます。それが卵子凍結という方法です。35歳くらいまでに、自分の卵子を凍結しておくことで、受精能や胚発育能が高いままキープしておくことができます。40歳になってそれを使って体外受精を行えば、5年とか10年の時を経ても、凍結したときのクオリティになるので、妊娠率を高めることができます。45歳でも大丈夫だと思いますが、これが50歳、60歳となると、別の肉体的な問題が出てくるので難しいかもしれませんが」

──その卵子凍結には、医学的卵子凍結と社会的卵子凍結があると聞きました。

「はい。医学的というのは、病気ですね。たとえば癌になって抗がん剤をやるとなったときに、卵子にも大きな影響を与えるので、抗がん剤の前に採卵して、凍結しておくというようなものです。厚生労働省も助成金を出していることからわかるように、一定の市民権を得ているといえます。それに対して社会的卵子凍結は、社会で活躍する女性が、将来に備えるものといえます。将来は結婚、妊娠・出産がしたいけれども、いまは仕事が忙しい、結婚相手がまだ決まっていないといった理由から、卵子を凍結しておくということです」

図5

──そのなかで、社会的卵子凍結の現状を調査されたと伺いました。

「とある自治体からの依頼で、社会的卵子凍結の統計を教えてほしいといわれたことがきっかけでした。そのときには医学的卵子凍結は登録制度があって、実態が把握されていましたが、社会的卵子凍結は、日本産科産婦人科学会が推奨していないという姿勢を取っていることから、あまり実態が把握されていない状況でした。調査をしてみると、とある年の医学的卵子凍結が百数十件であるのに対して、社会的卵子凍結が千数百件もあったんです」

図6

──8倍ほどの差があったんですね。

「同じアンケートの中で、既にその凍結卵を用いた妊娠の症例があるのかについても聞いたのですが、驚いたことにすべての施設で既に症例があるという答えだったんです。卵子凍結をして1〜2年で使用するということはあまり考えられないので5年、もっといえば10年も前から行われていて、実際に成果として出てきているということです」

図7

──現状、社会的卵子凍結には助成制度はないということで、もちろんこれから変わっていく可能性はあるものの、その意味で医学的卵子凍結とは立ち位置が少し異なるわけですよね。では、卵子凍結のデメリットとしてはどんなことがありますか? メリットは卵子の質をキープできるところにあるということですが。

「デメリットかどうかは意見が分かれるところだと思いますが、一つには結婚・出産する年齢が遅くなるのではないかという考え方があります。40代、50代と年齢が上がるにつれて体力的に落ちてくるし、何かしらの病気になっている可能性も高まってくるので、リスクが増えるのではないか、という意見ですね」

──卵が若いから、50代で妊娠できたとしても、出産リスク自体は50歳のままですもんね。

「いずれにしても、いろいろな意見があるなかで、卵子凍結を推奨するというよりは、そういうものがあるということを知ってもらい、それをきっかけに自分自身のライフスタイルやプランを考えてもらうことが大切ではないでしょうか。ですから〝ないもの〟として扱うのではなく、プレコンセプションケアの一部として、この卵子凍結というキーワードも含めていっていいんじゃないかなと個人的には思っています」

──最後に、不妊治療から出産までトータルに見てきた専門医としての立場から、将来妊娠したいと思っている方々に対してメッセージをお願いしてもいいでしょうか。

「私は、ルイーズ・ブラウンさんが世界で初めて体外受精で生まれた翌年の、1979年から卵子の研究を始め、不妊治療にも携わってきました。産婦人科医ですから、もちろんお産も数多く見届けてきました。不妊治療で妊娠し、ご出産される姿を目の当たりにしたときは、なんて幸せな瞬間だろうと感じてきました。私自身が赤ちゃんを取りあげるときにも、なんて幸せな時間を共有させてもらえているんだろうと、本当に産婦人科医として冥利に尽きるといいますか、素晴らしい仕事で、すばらしい時間を過ごさせてもらっていると思っています。

子どもを持つというのは、本当に幸せなことです。自分が将来、子どもを持ちたいと思われる方は、プレコンセプションケアも含め、本日お話しをしたようないろいろな仕組みをきちんと知っておくと、いろいろな選択肢が増えて良いのではないでしょうか。そして、いつかかわいい赤ちゃんを産んでいただければと思います」

──堤先生、本日はどうもありがとうございました。