今回ご紹介するのは、上田真之介さん(仮名・36歳)と上田麻実さん(仮名・32歳)夫婦です。3年前に授かり婚をした上田さん夫婦は、およそ1年前から“二人目”を考えました。妊活を始めて早々に不妊治療を始めた麻実さん。半年ほどタイミング法を試みた後に、現在は人工授精を試みているのだとか。麻実さんが不妊治療に臨むことにしたきっかけは何だったのでしょうか。

怖いぐらいに幸せを感じていた

真之介さんと麻実さんが結婚したのは、3年前のことでした。きっかけは付き合い始めて1年を経ずに妊娠が判明したことです。いわゆる授かり婚でした。

「妊娠がわかったとき、すごくびっくりしたのですが、同時にとても嬉しかったのを覚えています。というのも、お付き合いを始める前の26、27歳のころに産婦人科で”不妊治療は確実”と言われていたからです。

“もし子どもが欲しいなら早いほうがいい”とも言われた麻実さん。そのときには、付きっている相手がいなかったことから、不妊治療をすることもなかったようですが、その言葉は麻実さんの頭のなかに色濃く残りました。でも、なぜそもそも麻実さんは産婦人科にかかることにしたのでしょうか。

「何度か転職をしているのですが、24歳のときに勤めていた企業が割とブラックな職場で、そのとき生理不順に悩まされました。夜遅くて朝早く、勤務時間もバラバラという生活で、生理が来なくなりました。でも、病院に行く時間もなかったので、一年半くらい生理がとまったまま。さすがにまずいだろうと思って、産婦人科医に行きました」

そこでマミさんは、ホルモンバランスが悪くなっていることから、「不妊治療は必須」「子どもが欲しいなら早く」と言われたのです。その後、転職したのちに、夫となる真之介さんと出会いました。

「産婦人科の言葉が頭に残っていたので、妊娠しないだろうって思っていました。そのことは付き合い始めたときから夫には伝えていたので、特に避妊はしていませんでした。実際、妊娠する前もしばらく生理はきていませんでしたので。ただ、夫とお付き合いを始めて何カ月か経ったときにきた最初の生理のあとに、体調がすごく悪くなったんです。まさかと思って、検査薬をしたら陽性でした」

付き合い始めてから1年未満とまだ日が浅かったこと、会社の経営に携わる真之介さんが“仕事人間”に見えたことから、結婚生活の具体的なイメージは湧いていなかったそうです。しかし、妊娠判明後に献身的なサポートをしてくれたことから、子育てに対する不安はまったくなかったと言います。

「仕事人間だと思っていた夫は、不器用ながらもいろいろとサポートしてくれました。忙しいながらも、時間の融通は利く立場だったので、出産直後には早く帰宅してくれたり、在宅勤務を選んでくれたりしたので、あまり子育てに不安はなかったです。付き合ってから結婚までの期間があまり長くなかったこともあって、夫婦としてもすごく仲が良くて、怖いぐらいに幸せを感じていました」

妊活を始めたきっかけはAMH検査の結果だった

第一子の誕生後、半年ほどで卒乳した麻実さんは、ふたたび生理が始まりました。さらに、麻実さんは自分が二人姉妹であることから、真之介さんは身をもって一人っ子の寂しさを感じていたことから、「二人目が欲しい」という意見で一致していたため、話し合いの場を設けました。

「私としては、依然として“できにくい”ということが頭にあったので、すぐにでも欲しいという気持ちがありましたが、夫は“もう少し落ち着いてからでいいのではないか”という意見で、対立しました」

懸念事項は第一子が熱性けいれんを持っていて、3歳くらいまでは残りそうだと言われていたこと。妊活に力を入れると日常生活や仕事に影響が出てくること。当時、麻実さんの年齢が31歳であったことが、真之介さんの慎重論を助長していたのだと言います。

しかし、第一子が1歳半のとき、麻実さんのなかで大きな出来事が起こりました。

「ずっと排卵痛があって、漢方の薬を処方してもらっていたのですが、出産から1年半くらい経ったときに、排卵痛が強くなってきたんです。それで産婦人科に相談に行きました。そのときに二人目を考えていると伝えたところ、医師からAMH検査を勧められました」

その結果、2.0という数値でした。31歳という年齢的に低いと言われたそうです。そのときに、“やっぱり自分はできにくい体なんだ”と思って、妊活を始めようと決心するに至りました。

タイミング法は、夫へのプレッシャーになっていた

最初はタイミング法を試みました。

「そのときの夫は“自然に妊娠するなら”というスタンスでしたので、排卵日を計算したうえで、自然妊娠を目指しました。3カ月挑戦して少し休んで、また試みて……としたのですが、妊娠の兆候はありませんでした」

先にも書いた通り、仲が良かった上田さん夫婦。子どもと夫婦の寝室を別にしていたこともあって、出産後も大人の時間は確保できていました。しかし、タイミング法をすることによって、その関係性にややひずみが生まれたようです。

「排卵日を特定して、“今日だよ”と伝えると、むしろ夫としては怯んでしまうところがあったようで、うまくできなかったり、断られたりすることもありました。それで、次第に私としてもタイミング法を続ければ続けるほど夫婦の関係が悪くなるのではないかという懸念を持ってしまって、余計になるべく早く授かりたいと思うようになりました」

そうして麻実さんは不妊治療として、次のステップである人工授精に進むことにしました。

「不妊治療の専門医院にかかり、夫婦で検査を受けましたが、特に不妊になる原因は見つからないということで、人工授精をすることになりました。通常の性生活は月に1回くらいですが、夫としてはタイミング法よりもプレッシャーが少ないようで、病院が勧める人工授精の前後でも何度かしています」

タイミング法だと100%自分の責任。一方で人工授精があれば、「絶対にその日にして欲しい」という重圧がないということが大きいようです。

不妊治療に積極的ではなかった夫は、少しずつ変わっていった

しかし、3回の人工授精を経ても結果が出ませんでした。加えて、黄体ホルモンの治療で飲む薬の影響で、「生理のときの100倍近い」とも話すイライラによって、衝突してしまうこともあったそうです。

「3回目の人工授精がうまくいかなかったときまでは、夫はあまり真剣に考えてくれていなかったのだと思います」

如実に表れていたのが、人工授精の段階に入る前のこと。クリニックが開催する“人工授精や体外受精を考えている人のためのセミナー”への参加を考えていたときでした。

「最初はすんなりと“参加するよ”と返事してくれたのに、セミナーの開催が近づくにつれていろんな言い訳で、参加しない方向に持っていこうとしていました。結果的に、第一子のほうが体調不良になってしまって、参加できなかったのですが、そのときにもなんだかホッとしたような表情でした」

人工授精が成就しない度に、麻実さんは真之介さんと向き合いました。人工授精に一回失敗するごとに、1ヵ月分の時間的猶予が減っていく感覚や、卵を無駄にしてしまっている喪失感を伝えました。さらに50歳になったときの人生を想像し、今やらないと後悔するかもしれないという思いも伝えました。そうした話し合いによって、真之介さんにも変化が生まれてきたそうです。

「4回目の人工授精の前に、これからの治療について担当医に相談しに行こうと思っていると伝えると、夫も『ついていくよ』と言ってくれました。少しずつですが、変わってきているのだと感じました」

本音でぶつかり合ってきたからこそ今がある

麻実さんには、本音でぶつかってきたという自負があるのだといいます。ふだんはほとんど喧嘩をしないという麻実さんですが、人生を左右する出産のことだからこそ、衝突することを恐れずに、思いの丈を伝えてきたのです。

「本音で向き合えたからこそ、夫婦の絆も深まっているように感じます。以前は、これからの不妊治療の話をするときに、夫は体外受精について否定的でしたが、今は体外受精に対して選択肢の1つとして考えてくれているようです」

というのも、黄体ホルモンの薬の影響から、麻実さんの体調に変化が出てきているからだと言います。

「イライラするだけでなく、痩せていっているんです。お腹は空くんだけど、食べるとすぐにお腹がいっぱいになってしまって……。話し合いを重ねてきた結果でもありますが、一方では、夫は私の体も心配して、いろんな選択肢を真剣に考え出していてくれているのだと感じます」

真之介さんは麻実さんの危機意識を理解し、夫婦間の溝が埋まってきた今、不妊治療の方向性を探っている状態だと話します。

「最近になって仕事と妊活の順位が変わったという言葉も、夫から聞きました。このまま人工授精を続けるか、体外受精に進んでいくかは、夫や知人、クリニックなどと相談しながら決めていこうと思います」

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。