今回ご紹介するのは、大森宏太さん(仮名・36歳)と真奈さん(仮名・35歳)夫婦です。生まれ育った家が徒歩圏内にあったという、幼馴染のお二人が結婚したのは社会人2年目をむかえた25歳、24歳のとき。結婚2年目で第一子を授かったものの、その後、宏太さんの海外留学や真奈さんの転職などのライフイベントが重なったことから、希望していた第二子のための妊活まで、5年の月日が流れていました。

公私ともに妊活の準備が整い、第一子と同様にタイミングをはかりつつ妊活に臨んだものの、妊娠の兆候が見られなかったという真奈さん。
そんな折、ふとしたきっかけで婦人科を受診。AMH検査を受けたところ、医師から衝撃のひと言が発せられ、本格的な妊活に挑むために、ある理由から転職を決意しました。今回は、そんな2人目の不妊治療を行っている大森さん夫婦のお話です。

(動画のご紹介)
妊活【密着取材】第4弾! 痛い?怖い?不妊治療や卵子凍結保存で行う『採卵手術』に同行取材してみた!

2つのライフイベントで“妊活を延期”

「いま思えば、どうして保留にしたのかなって。自分たちで選んだ道なので後悔はしていませんが、でも、もっと早く自分の体の状態のことを知っていれば、あのときの2年という待機時間に動くこともできたのかなと思います」

真奈さんが話す“あのときの2年”というのは、第一子が生まれた後、宏太さんたっての希望だった海外留学で、家族みんなで過ごしたアメリカ生活のこと。思いのほか、肌にあった移住生活ではあったものの、海外で妊娠・出産することへの不安で、一歩を踏み出せなかったのだと真奈さんは話します。

「そろそろ2人目もいいかなというタイミングでした。社に籍を置いたままの社会人留学ということで、将来の生活に心配があったわけでもないですし、もともと姉妹のいる私としては、最低でも2人きょうだいは欲しいなって思っていたので、アメリカにいるときに産んでもよかったわけです。仕事もしていませんでしたから。でも、産科医の先生との間に言語の壁があったり、勉強に打ち込んでいた夫がそこまで積極的ではなかったりで、一歩を踏み出せず、2人目の妊活はしませんでした」

海外留学後も、真奈さん自身の再就職というライフイベントがあり、2人目が欲しいという思いはあったものの、「就職していきなり育児休暇を取るというのは考えられなかった」という真奈さんの言葉どおり、すぐには行動に移しませんでした。

「ようやく動き出したのは、長女が5歳になってからでした。夫婦で話もして、2人目をつくろうってなりました。夫は、“留学という夢を叶えさせてもらったから、次は真奈の番だよね”って言ってくれて」

不妊治療が“自分ごと”になった瞬間

約5年という時間を経て、妊活を再開した大森さん夫婦。真奈さんは、なるべく早い時期に妊娠したいという思いを持っていたため、基礎体温を測り、自己流ではあるもののタイミングをはかっていたそうです。

「あんまり“今日だからね!”みたいにしてしまうと、萎えさせてしまうという話も聞いていたので、大っぴらに夫に言っていたわけではありませんけど、私は体温を測ってタイミングをみていました。妊活の前も、普通に夫婦生活はあって、多いときは週に2回、普段は週に1回程度で、(避妊をやめた)妊活後も、回数的には同じくらいでしたけども」

1人目のときは自然妊娠。しかも一緒に住み始めて1年以内にできたことから、半年ほどしても妊娠の兆候が見られなくても、「仕事のストレス?」という程度にしか思わず、「そのうちできる」と楽観的に思っていたそうです。

しかし、そんなあるとき、転機が訪れました。ことの発端は、会社の後輩からの何気ないひと言だったと話します。

「産休に入っている仲がよい後輩に、妊活しているという話をしたら、“絶対に一度検査したほうがいい”って言ってきたんです。彼女自身、結婚後に5年間子どもができなくて、不妊治療をしたらできたということでした。正直、そのときまで不妊治療は30代後半になってからするものという思いがありましたので、20代後半から30歳そこそこの彼女が、そんな体験をしているなんてびっくりしたと同時に、私も他人事ではないのかもと感じました」

とはいえ、いきなり不妊治療の専門医院に行くのではなく、近所にあるレディースクリニック(産婦人科医院)を訪れたそうです。

「まだ自分が不妊治療をするというイメージは沸かなかったので、とりあえず通いやすい近所の病院に行ったという感じです。そこでお医者さんからまさかのひと言があったんです」

体温の高低差がないなどの些細な問題は指摘されたものの、このまま続けていれば(自然妊娠)で授かれるでしょうという感じだったのが、風疹の検査のために行った血液検査で、空気が一変したと真奈さん。

「そのとき、ついでにAMH検査もしたんですね。そうしたら、0.4という数字が出て、先生から“閉経間際に近い数値です”というようなことを言われたんです。ズドンとその言葉が私にきて、本格的に不妊治療をするために、専門医院に通うことにしました」

不妊治療をきっかけに転職を決意した

不妊治療の専門医院では、夫婦ともに検査を実施したそうです。その結果、宏太さんの検査結果には特に問題は見つかりませんでした。

「このままでは妊娠は難しい。その原因はおそらく私のほうにある。でも、私は2人目が欲しいと思っているので、できれば本格的な不妊治療がしたいと伝えたところ、夫は快く了解してくれました」

専門医院では、タイミング療法を経て、体外受精を行うということになりました。しかし、薬を服用しても、真奈さんの卵胞がうまく育たなかったことからなかなか採卵自体ができませんでした。加えて、チームリーダーをしているという仕事との兼ね合いから、病院に行かなくてはいけない日に、会社が休めないということもあったそうです。

「治療を始めた当初、今とは別の会社に勤めていました。上司にあたる人にだけは不妊治療のことを伝えていました。基本的にはチームリーダーだったので、治療に支障が出ないようにマネジメントしたり、有給を使ったりしていたんですけど、職業柄、どうしても自分にしかできない業務というものが発生してしまいました。不妊治療のほうも、病院に行かなくてはならない日時が事前に100%わかることはないですよね。ずっと薬を飲んできて、調整してきたのに、『今日は行けません』という日が出てきてしまい、病院の先生から『真剣にやったほうがいいですよ』って言われてしまいました」

これを機会に、通勤に1時間かかっていた以前の職場を離れる決意をした真奈さん。仕事終わりに病院に通えて、かつ子どもの学童へのお迎えにも間に合う場所にある会社に転職をしたのだと話します。

「私の親も、夫の親も遠方に住んでいるので、なかなか頼れる人がいない中、転職を決意しました。2人目の不妊治療ということで、先生からは子どもを連れてきてもいいよと言われているんですけど、やっぱり雰囲気的には難しいと思っています。というのも、日中の早い時間なんかは割と空いているので、上の子を連れてくる人もいるのですが、私が普段通えるのは平日の夕方で、そういうたくさんの患者さんがいる時間帯は連れていけないですね」

治療の日のスケジュールについては、具体的に次のようだと真奈さんは言います。

「会社を定時の17時15分に出て、タクシーをつかって10分弱で病院に駆け込みます。そこから1時間ほどで治療を終えて、19時まで預けられる学童に向かいます。いつも閉園ギリギリになりますので、まさに分刻みの活動です」

ちなみに、転職前は業務を終えるのが19時で、帰宅するのは20時。したがって、ベビーシッターを活用することで、何とか日々の生活を成り立たせていたのだとか。転職したのは、治療のことだけでなく、“お迎えくらい自分で行きたい”という思いもあったのだと言います。実際、現在は18時には帰宅できているそうです。

2人目について、家族や同僚と話すこと/話さないこと

不妊治療については、以前の会社とは異なり、誰にも話していません。

「転職先では、アメリカから帰国した後のように、就職してすぐに産休育休を取ることへの後ろめたさとかは考えないようにしています。自分のなかでは、もう四の五の言っていられない状況で、これはもうアクシデントということで押し通そうと思っていて、(治療のことは)上司にも伝えていません」

第一子である娘からは、ときどき「妹とか弟が欲しいな」と言われることもあるそうです。実際、友だちに小さなきょうだいがいると、積極的にお世話したがるのだとか。しかし、過度な期待をもたせたくないとの理由から、真奈さんはなるべく正直な話をしています。

「どこまで伝わっているかはわかりませんけど、私も妊娠を望んでいることと、それがうまくいくかどうかはわからないことを、正直に伝えています。ママの体調もあまりよくないし、年齢もあがってきているので、難しいかもしれないけど、ママも欲しいと思っているよという感じですね」

また、真奈さんの姉が30代後半になってから2人の子どもを産んでいることから、実の両親からはダイレクトに「どうなの?」と聞かれると言います。

「何気なく聞いてくるので、勝手に自分のなかでプレッシャーを感じてしまっています。子どもが1人ということを知っている知人の中には、私がポリシーで1人しか産んでいないと思いこんでいる人もいて、“年の差があると、兄弟関係も希薄になるし、一人っ子もいいよね”みたいなことを言ってくる場合もあります。そういう言葉の一つ一つに、ショックやプレッシャーを受けているわけではありませんが、やっぱり心に響くものはあって、いろいろと考えさせられますね」

一方で、義両親からはまったくプレッシャーがないことは救いなのだとか。

「幸いなことに、義両親にはなにも言われません。男がいないとだめとか、お墓はどうするのとか、そういうことは一切言わないので、気持ち的には本当にありがたいと思っています」

これまでのこと/これからのこと

真奈さんは、2人目不妊を乗り越えるため、今も治療を継続中です。そのなかで、夫である宏太さんと、「いつまで治療を続けるか」という話もすでにし始めているのだそうです。

「エンドレスに行っていくのは、精神的にも金銭的にも体力的にも厳しいので、夫とはいつまで続けるかという話をしています。ただ、今はまだとりあえずはやってみようという感じで、まだ線引きが決まっているわけではないのですが」

これまでの人生を振り返ってみて、後悔の念はあまりないと言います。しかし、考えても仕方ないことだとしたうえで、次のようにも真奈さんは語っています。

「そうはいっても、(AMH値について)自分が何歳のときにどれくらいの数値だったのだろうかということは、知っておきたかったことですね。どこの段階で、どこまで減ったのか、調べていればわかることなので。たとえばアメリカに行く前に調べていて、そのときの数値があまり高くなかったら、おそらく海外生活とか就職といったライフイベントに関係なく、躊躇せずに2人目の妊活に臨んでいたと思いますし、AMH値が低いという私の場合は、そのときのほうが間違いなく(年齢的に)妊娠できる可能性は高かったわけですから」

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。