今回ご紹介するのは、原田大輔さん(仮名・45歳)と知子さん(仮名・41歳)夫婦です。お二人が結婚したのは12年前の33歳、29歳のときでした。結婚1年目で第一子を授かりましたが、それから第二子妊娠の兆候が見られることなく約7年が経ちます。

そして、38歳の夏。知子さんは意を決して、「2人目を諦める」と大輔さんに伝えました。すると、その翌月に妊娠が判明。「妊活をやめた途端にできるという話は聞いたことがあるけれど、まさか自分がそうなるとは……」と話す知子さんに、揺れ動いた気持ちの変化を聞きました。

妊娠に関する不安を感じたことはなかった

「不妊治療をやめたら子どもを授かった」という話を聞いたことがある人もいると思います。知子さんもそんな1人でした。当時のことを次のように振り返ります。

「本格的に(2人目のための)妊活に取り組んだのは約3年でした。そのうち、私のなかで最終ステップだと考えていた人工授精に取り組んだのは、1年半ほどですが、妊娠できませんでした」

自然妊娠をした1人目のときは20代でしたが、このとき知子さんは38歳をむかえていました。もう諦めて、自分がやりたいことをする──そう夫に伝えたそうです。

「夫は『それでいいよ』って心から受け入れてくれました。そうしたら、翌月に妊娠したんです。そのときは、嬉しいというよりも驚きのほうが大きくて……。家にあった妊娠検査薬で、陽性反応が出たんですけど、それは少し古いやつだったので、にわかには信じられなくて、すぐさま薬局に走っていって、再度検査したら、やっぱり陽性で。とにかく驚きが大きかったのを覚えています。出張中だった夫にも、LINEで『これは誰の赤ちゃん!?』って伝えたくらいでした」

そもそも知子さんが2人目の不妊治療を行うに至った経緯は、何だったのでしょうか。時系列で聞いていきます。

4年の交際期間を経て、29歳で結婚に至った知子さんですが、それまで妊娠・出産に関する不安を感じたことはなかったと言います。

「付き合っている彼氏に浮気されたとか、仕事がうまくいかないとか、いろいろありましたけど、生理だけは規則正しくて、狂ったことがありませんでした。だから、自分は子どもが絶対にできると思いこんでいました。ホルモンバランスもよいはずだっていう、変な自信もありました」

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順風満帆ではなかった第一子の出産と育児

基礎体温ですら、一回も測ったことがなかったという知子さん。というのも、子宮頸がん検診を受けたことも、以前から持っていた自信を強めたのだとか。

「いちど、子宮頸がん検診で“異常あり”ということで、精密検査を受けたことがありましたが、まったく何も問題なかったんです。検査を受けて大丈夫だったことで、妊娠に関する不安はさらになくなったんです」

実は、入籍する前、知子さんは不妊治療も行うクリニックで働いていました。そうした経験から、結婚して避妊をやめれば、すぐに子どもができる人ばかりではないという意識を持ち始めました。

「もともと子どもが苦手なほうで、あまり子どもが欲しいという思いがあったわけではないのですが、職場で健康な20代でも不妊に悩む人がいることを知って、結婚した途端に、そわそわしだしました。入籍から結婚式まで半年ほど間があったのですが、入籍したらすぐに避妊をやめました」

すると、結婚式の翌月に第一子の妊娠が判明しました。ただ、妊娠から出産に至る過程は、思っていた以上に苦しい体験だったと言います。

「つわりもひどかったんですけど、それ以上に分娩が壮絶な体験でした。急遽、鉗子分娩をしたんですが、それがあまりに痛かったんです。というのも、うまく回転しなかったためか、赤ちゃんの右足が神経に触れていたらしくて……しばらく歩行にも支障が出たほどです」

そのあとの育児も、決して順風満帆ではなかったと知子さん。特に精神面で、不安定な日々が続いたそうです。

「1人で十分」という気持ちが切り替わっていった

「出産から1ヵ月後くらいになると、今度は気分の浮き沈みが激しくなって、授乳しながらボロボロ泣いていました。自分はあまりにも役に立たたない人間なのだと思い込んだり、社会と断絶されている感じがしたりして」

夫である大輔さんが、育児や家事に無関心だったというわけではありませんでした。自分から動くということはないけれど、言ったことはやってくれるし、仕事でまったく家にいないというわけでもなかったそうです。

「絶対に1人で十分。日々、そう思っていましたね。周囲にいるママで、きょうだいを育てている姿を見ると、羨ましいというよりも大変そう、自分には無理そう、そんなふうに感じていました。夫も、そんな私の姿を見ているから、2人目を作ることに前向きではなかったようです」

それでも1人目が3歳になると、少しずつ気持ちに変化が生まれてきたと知子さんは言います。

「自分が欲しいというよりも、この子(1人目)のために作ってあげたいっていう思いが大きかったです。そのとき私の年齢は33歳になるくらい。妊娠期間を考えると、高齢出産になる35歳という年齢を目の前にして、2人目にいくなら今しかないって思ったんです」

とはいえ、2歳半になるまで母乳をあげていたこと、寝室を夫婦で別にしていたこともあって、1人目を出産後、夫婦生活が極端に減っていました。日中はずっとお母さんをして、夜だけ急に「女」に切り替えることが難しかったのだと知子さんは当時の心境を語ります。

「今しかない」と「やっぱり要らない」という2つの思いのなかで

「1人目を出産した後も、生理は産前と変わらず安定していて、特に妊娠に対する不安はありませんでした。ですので、夫に2人目が欲しいことを伝え、排卵日に合わせて夫婦生活を再開させました」

2人目の妊活を始めた当初こそ、排卵日を伝えるようにしていたそうですが、そのうち「今日が排卵日」というセリフが大輔さんの気持ちを萎えさせてしまうこともあったと言います。そこで原田さん夫妻は話し合いの場を設けました。

「生理が始まって10日目くらいで排卵になることを夫に伝えました。そのときの夫の反応は、“忘れちゃうから言ってほしい”というものでした。でも、それまでの経験上、直接的に伝えると萎えさせてしまいます。最終的には、“今日は遅くならないでね”といった感じでそれとなく伝えるという方法に落ち着きました」

しかし、夫婦生活を重ねるも、妊娠の兆候が見られないまま、1年、2年と月日だけが流れていきました。知子さんは、第一子が幼稚園に通い出すなか、本格的に仕事を再開させ、自分のやりたいことを見つけ出していきました。

「(2人目を)作ると決めたものの、迷いがまったくなくなったわけではありませんでした。仕事をするなかで、自分がやりたいことも見つかってきましたし、第一子の手が離れてきたことで、もう一度大変な育児をゼロから始めるのかと思うと、“やっぱり要らないかも”となることもありました。今しかないという思いと、やっぱり要らないという思いで揺れ動いていた感じです。なかなか妊娠しないことで、その揺れ幅は大きくなっていきました」

「欲しいから子作りをする、でもできない、やっぱり要らないかも」という循環のなか、数年が経過しました。そのとき、知子さんは“38歳まで”という区切りを定めて、本格的に不妊治療をする決心をしたそうです。

「38歳で妊娠したら産むのは39歳。そこまでにできなかったら諦める。そういう決心をして、不妊治療の病院に行くことにしました」

一通りの検査をして、タイミング療法を行いましたが、それでも妊娠できなかったことから、人工授精に踏み切ったと言います。

「あくまで私のなかでということですが、体外受精は選択肢にありませんでしたので、最後の手段として、人工授精をすることにしました。1年半くらいで、トータル4、5回をやりました。それでもできませんでした」

最後の人工授精がうまくいかず……。そしてまさかの自然妊娠

知子さん自身、クリニックで働いていた経験があることから、人工授精の妊娠率がそこまで高くないことを知っていたそうです。そのうえで、とある決心をしました。それは38歳になる夏のことでした。

「鮮明の覚えているのは、38歳になる夏ですね。次の人工授精でうまくいかなかったら諦めると決心し、夫にもそのことを伝えました。夫は、それでいいよと言ってくれて」

結果として、その人工授精はうまくいきませんでした。

「うまくいかなかったことが判明して、“もう諦める。そのぶん、自分の好きなことをしていく”と、そのように伝えました。実際、その当時は仕事にやりがいを感じていたのも事実です。夫はそのときも“知子がそう思うなら、それを尊重するよ”と言ってくれました」

「2人目に固執しない」。そう決めると、知子さんふと気持ちが軽くなりました。大輔さんのほうも、ピンと張っていた緊張感が解けたのだとか。そして、その翌月のある日、自然な流れで夫婦ともに「しよう」という気持ちになり、久々に開放的な気持ちで夫婦生活をしたそうです。そのときには、排卵日もまったく気にしていなかったと知子さんは話します。

「とはいえ、その一回でできるとはまったく思っていなくて、もう完全に切り替えて、第一子の教育や自分の仕事といった次のことに目が向いていました。そうしたら、次の生理がなかなか来なかった。生理不順って、ほとんど経験になかったので、おかしいなって思ったんですが、まさか妊娠しているとは思っていませんでした。それでも、念のため家にあった妊娠検査薬を試してみたら、陽性反応が出たんです。『えぇ!?』って思いました。けど、それは少し古いやつだったので、にわかには信じられなくて、すぐさま薬局に走っていって、再度検査をしたら、やっぱり陽性で……」

知子さんは、とにかく嬉しさよりも驚きが大きかったのを覚えていると言います。出張中だった夫にも、LINEで『これは誰の赤ちゃん!?』って伝えたくらいでした。

二人目出産後、育児・家事の負担が小さくなった理由

無事に2人目を産んだ知子さん。育児は大変ではあるけれど、第一子のときよりも負担が少ないと言います。というのも、大輔さんの姿勢が大きく変わったからです。

1人目の子育てで妻が悪戦苦闘している姿を目の当たりにしていた大輔さんは、「妻の負担を減らす努力をしよう」と決心したのだとか。知子さんはそのときの大輔さんについて、“人生における仕事の時間と家庭の時間のバランスを変えてくれた”と言います。

「家族に対する姿勢が大きく変わりましたね。それまでは、忙しい仕事の合間に、趣味であるジム通いを週一回はしていました。第二子が生まれてからは、仕事と家族の時間のバランスもうまく調整してくれて、何を言わなくとも子どもの面倒も見るし、家事もしてくれます」

最後に、二人目不妊を経験した知子さんは、これから子どもが欲しいと考えている人に対して伝えたいことを尋ねると、“寝室の重要性”について語ってくれました。

「我が家は、間取りの関係や、子どもの夜泣きで、仕事の邪魔をしたくないということもあって、第一子出産から夫婦の寝室が別になりました。具体的には、子どもと私で1部屋、夫は別の部屋となっていました。それによって、一緒のベッドに入るというところまでハードルができてしまった。結果的に、それがなかなか2人目ができない原因の一つになったと思います。ですので、子どもが欲しいという人がいれば、できれば同じ寝室で寝るという習慣を持ったほうがいいのかなと思いますね」

※本インタビュー記事は、「二人目不妊」で悩んだ人の気持ちや夫婦の関係性を紹介するものです。記事内には不妊治療の内容も出てきますが、インタビュー対象者の気持ちや状況をより詳しく表すためであり、その方法を推奨したり、是非を問うものではありません。不妊治療の内容についてお知りになりたい方は、専門医にご相談ください。